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「イスラエル美術の現在」展
ミハル・ハイマン・テスト編


MHTを行う部屋の入口。


向かって右側のソファは、オープントーク用。この展示室を訪れた人が自由に会話に参加できる。


ワークショップでは、参加者はこのソファに横になる。これは会場に入って左側にあるプライベートトーク用。


MHT初日はハイマン本人が立会った。
この写真を撮影したBijutsuyaro!のライターYouko Yabeさんによる「ミハル・ハイマン・インタビュー」も併せてどうぞ。


 招待作家の一人ミハル・ハイマンの作品「MHT(ミハル・ハイマン・テスト)No.2」が、ワークショップとして会期中の毎週日曜日の午後に実施され、その進行役を私が務めた。

 MHTは、広く知られている心理テスト「TAT(主題統覚検査)」(*)を参照し、ハイマンが考案したプログラムである。参加者はソファに仰向けになり、用意されたA5サイズほどの写真カードを見ながら、そこから感じた印象などについて進行役と会話を交す。写真カードはTATに倣い、何も写っていない真っ白なもの1枚を含め全部で72枚。曖昧なイメージは心理状態や関心事に応じて様々な印象をもたらすため、写真カードを見て感じたこと、考えたことなどを話すことで、その人が抱える悩みを引き出したり忘れていた部分を認識するといった「自己再発見」が狙いの一つとなっている。ただし「自己」と付くように、発見するのは参加者自身であり、こちらから診断結果を出すことはない。
 このワークショップに多くの人が関心を示してくれたらしい。担当の平野学芸員は一日2〜3名程度参加すれば良い方と考えていたようだが、始まってみると毎回5〜6名が参加し、全日程をを終えるとのべ50名を越えた。この人数を1人につき20〜30分対応したから、毎回あっというまに4時間が過ぎ、延長して閉館間際まで行うことも珍しくなかった。日本の女性の間では心理テストが占い感覚ですっかり定着していることを考えればうなずけることだ。年齢層としてはやはり20〜30代が多かったが、小学生からお年寄りまで幅広く参加してくれた。
 今回行った「MHT No.2」は女性のみを対象としている。「No.1」のバージョンでは男性も対象となっていたようだが、最近ハイマンがフェミニズムに関心を持っているそうで、「No.2」では女性が自己投影しやすいように、71枚の写真カードは全て女性が主役となったイメージで構成されている。写真の殆どはハイマンの義母のプライベート・アルバムから選ばれている。写真は1930年生まれのその女性の20才前後の頃から60代になった最近のものまであり、女性の生涯について考えるには十分な時間幅を持っている。またこの人物はかなり旅行をしているようで、写真には自宅があるオーストラリアをはじめ、たくさんの地域が登場する。なおハイマンは元々フォトグラファーなのだが、彼女自身が撮影した写真も数枚含まれている。
 MHTは心理療法を模してセラピーを行うようなスタイルをとっており、展示室の一角にMHTのための特別室が用意された。部屋には患者がセラピーを受ける時に横になるカウチソファーが置かれ、壁面には病院で見かけるような柔らかな緑色が使用され、またハイマンが実際にカウンセリングを受けたというセラピストの部屋にあった物―ベッドの上の絵画、たくさんの心理学系の書物、患者の視界に外界が入らないよう閉じられた窓など―を撮影した写真を貼っている。
 参加者はまず2つの形式からどちらか好きな方を選択する。入室し向かって左側のソファで行われる「プライベート・トーク」では、参加者と進行役がヘッドフォンとマイクを通してマンツーマンで会話し、他の人はその会話に参加できない。もう一つは向かって右側のソファで行う「オープン・トーク」と呼ばれるもので、グループ・ディスカッションを想定している。こちらには参加者が横たわるソファの他に椅子がいくつか用意されており、会場を訪れた人達がそれらの椅子に座りオープン・トークに自由に参加できる。実施してみて分かったのだが、これら2つの形式は予想以上に異なる展開をする。私は初め、プライベート・トークは人に会話を聞かれずに行うというプライバシーへの配慮だと思っていたが、この形式だと思考を人の言葉に左右されることなく自分の中に抱いたイメージだけで会話が展開するので、自分について集中して掘り下げたい場合に向いている。一方オープン・トークは他の人の感想を聞き意見を交すことで、写真についてのいろいろな見方・楽しみ方を発見できる。心理学的な面は少々弱くなるが、アートに初めて親しむ人向けのワークショップとして特に役立つように思う。

 さて具体的な内容についてだが、参加者はソファに仰向けになり、進行役の私は彼女の視界に入らない枕元の椅子に座る。そして72枚ある写真カードから適当に1枚を選んで手渡す。まずはゆっくり見てもらい、それから少しずつ会話を始める。実のところ、私がすべきことについて、これ以上は指定されていない。MHT No.2は写真カードとマニュアルなるものがセットになっているのだが、困ったことに進行役(マニュアル上では"examiner")がすべき事について、アウトラインやTATとの違い、各写真カードの情報等については記載されているのだが、例えば、見せる写真の選び方や会話する内容、「参加者がこんな反応を示したらこうしなさい」などといった具体的な手法には殆ど触れていないのである。また私は心理学の専門的な知識を持ち合わせていない(この仕事を依頼されたとき、特に要求されなかった)。事前に資料として渡されたこのマニュアルを読んだとき、少々戸惑った。平野学芸員から聞いた説明や私が認識している写真の特性などから思い描いたMHTの作品像と、マニュアルがしっくりこなかったからである。またハイマンが語る、美術館の静けさに対する疑問、オーディエンスと作品との結び付きを深める、オーディエンスに作品から感じたことについて声に出して話してほしいといった、もう一つの狙いについて何も触れられていない。展覧会初日、ようやく来日したハイマンと打ち合わせをして、マニュアルは難しいから考えなくて良いと言われ、結局最初に自分がイメージしたように行った。
 まず選ぶ写真は、会話の流れに合いそうな写真(例えば旅行の話題が出たら観光地でのスナップ)、あるいは被写体の女性が参加者の年齢に近いものを見せるように心がけた。他にもイスラエルの土地や文化に触れるような写真や日本で撮影された写真など、見せたいものはたくさんあったのだが、短時間でうまく写真を選び出すのはなかなか難しく、大半はアトランダムに選んでいた。そして「よくご覧になってください」と写真を渡し、それから何が写っているか挙げてもらい、写っているものを認識してもらう。そこから気になる点や強い印象を与えた部分について話してもらう。面白いことに同じ写真を見せても、人によって注目する点が全く異なっていた。前述のとおり使用する写真には必ず女性が写っているのだが、人物にはあまり触れずに場所や背景のことばかり話す人がよくいた。人物に注目する場合でも、女性のファッション(被写体の女性はとてもおしゃれな人だっだ)であったり、人柄や家庭、その時人物が何を考えているか、など様々である。また会話がはずんで、気が付けば写真と全然関係ない話題になっていたことも珍しくない。MHTで話す話題には何の制限もない。写真はきっかけであり、その人の記憶のドアを開けるカギのようなものだ。特に中年女性は時代性というか写真との時間的接点が多いようで、オープン・トークに3〜4人集まると思い出話に花が咲く。またハイマンは結構傑作なものを選んでいるので、個人的スナップ写真ならではの面白さもある。真っ暗な場所で黒い服を着て撮影した写真がまるで首だけ宙に浮かんでいるように見えたり、リビングにシノワズリーな調度品があったり、人物に合わせたためどこで撮影したのかよく分からない写真になっていたり...etc.。美術館の中でのおしゃべりはなかなか新鮮なようで、終了後感想を求めるとさらに5分10分経ってしまう。まさに「美術館の静寂を破りたい」というハイマンの思うツボ。その点、プライベート・トークをした人には、終了後に会話しながら考えた事などについて整理するための時間を設けられたら良かったのだが、他の体験希望者が待っていて、なかなかそうもいかなかった。

 当初は各写真の撮影年や場所などについて私からよく説明していたのだが、回を重ねるうちに、参加者が受けた印象ではなく、その思考を私の説明に沿って修正しながら話していることに気付いた。それでは自己発見効果が薄れてしまうので、以後なるべく私からは情報を与えないようにした。もちろん参加者から質問されることもしばしば。単純に好奇心で質問する人と、間違ったことを口にすることを怖がる人がいたように思う。
 また会場を訪れた若いカップルがオープン・トークを体験するというケースがよくあったが、女性はあまり話さず男性が補うかように話すという、いずれも似たような展開となった。女性は渡されたカードを少し見てすぐに男性に渡すので、あまり写真に集中できなかったのかもしれない。また男性の前で緊張しているようにも思えた。残念ながらその真意を確かめることは出来なかったのだが。またカップル以外でも20代の参加者は、他の世代に比べるとやはり言葉が少なかったように思う。被写体が20代とおぼしき写真カードが少なく、その多くが戦後間もない時代に撮影された白黒写真の古めかしい雰囲気なので、現代日本女性には距離感があって自己投影が難しいのかと私は考えたが、必ずしもそうではないらしい。ある日の閉館間際に参加した女性は静かに会話が展開したのだが、終了後彼女を出口まで送った平野学芸員が「ぼーっとして帰っていったよ」と教えてくれた。彼女の中では何かが起こっていたらしい。参加者にはどんなことが起こったのか、全員にアンケートを書いてもらえばよかった...。

 その他、横になる=無防備な状態である上に進行役が参加者から見えないことで、かえって不安を感じるという人がいた。美術館で横になる行為はリラックスできると殆どの人には好評だったのだが、その参加者は「本来のセラピーは医者を信頼するからできることであり初対面の人間に自分を託すのは難しい」と話してくれた。心理学にかなり期待して参加した女性が、結果に不満足だったため終了後1時間もそのことについて話したこともあった。被写体が欧米人なので自分と重ね合せて何かを考えることはあまりできないという声があったり、オープン・トークにサイド席で参加した男性が被写体の中年女性を自分の母親に重ね合せて話してくれたことも興味深かった。

 以上が、私がMHTを担当して聞いたり考えりしたことである。こんな経験を独り占めするのは悪いなと思いつつ、結局10日間全てを担当させてもらった。特等席でこのMHTを楽しませてもらったという感じである。ハイマンは「一切を進行役に委ね、コントロールしない」とし、実際彼女からの指示は殆どなかった。彼女自身が進行役をすることもない。私は渡されたこのMHT No.2をかなり個人的な解釈で行いこのように展開したが、別の人間が担当すればMHTはきっと全く異なる展開をみせるだろう。もし心理学のプロが担当すれば、カウンセリング結果が出るほど掘り下げられるに違いない。でも見る行為や写真を味わうといったアート的側面はかえって薄れるかもしれない。過去に行ったMHTはどうだったのか、ドクメンタ10(独)とル・カルティエ現代美術センター(仏)を担当したというイスラエル人学生にその時の話を聞いてみたくなった。

*...アメリカで開発された心理テストで、ロールシャッハ・テストに似ている。曖昧な視覚イメージを見せ、それから連想することを叙述させることで、その人の深層心理を探る。


大友 恵理/Eri Otomo
1970年 函館市に生まれる
1993年 弘前大学人文学部人文学科卒業
1998年 CCA北九州リサーチプログラム・キュラトリアルスタディコース終了
2000年 「Here.Now 2000-1997」展に参加
執筆:N-mark「妻有越後の歩き方」、美術手帖9月号「マニフェスタ3」等

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