週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 今後の予定 「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜 new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催 '01.7 柏寺島文化会館で個展開催 | また猫が5匹ほど生まれた。子供の顔はみていないが、最近生まれる子猫はだいたいが片目がないような状態である。このアパートにわたしが住むようになってから4度目の出産だ。「餌をあげるなら猫のふんは始末してください。」今朝、猫に餌を与えている人がいたのでわたしは注意した。その人は初めてみる顔だった。 このアパートには迷惑部屋がある。2階の一番端の部屋だ。その部屋には入れ替わり立ち替わり様々な人々が出入りする。入れ墨の人だって出入りする。ホームレスも出入りする。女性も出入りする。一度、ホームレス同志の争いで、その部屋の入り口に放火された。夜中にサイレンの音がしたので、何事かと思ったらうちのアパートに放水されていた。やはりその部屋であった。 その部屋の主はというと、優しい小柄なおじさんである。その優しい性格のため、身よりのない人たちを部屋に入れてしまうにちがいない。そこの主も来客も、みんな優しく、弱い人たちで、猫に餌をやってしまうというわけだ。1度目の出産のときは、下の階に住むおばさんが川の向こうまで捨てに行った。2度目のときはおばさんはもうこの世にはいなかったので、そのまま、猫は育った。しかし、その頃から片目のない猫が何匹かみられた。3度目の出産。猫たちはなんらかの形で死んだ。もう、すっかり血が濃くなっている。「生き物だから処分することはできない。かわいそうだし。」と、その人は答えた。「おばさんがしたみたいに、川の向こうに捨ててくればいいじゃないですか。」「あんたおばさんがいたころからここにいるのかい?おばさんなら死んだよ。」「知ってます。おばさんの火葬に行きましたから。」あんた達が殺したんだ。わたしは本気でそう思っていた。おばさんは迷惑部屋に注意をしにいって入れ墨の男にフライパンで殴られた。歯はぼろぼろに砕け、ちらし寿司だけで治療費はもらえず、長く慣れ親しんだアパートを引っ越した。近くに引っ越したのでたまに遊びにいっていた。 そんな矢先おばさんは倒れた。ちょうど実家に帰っていてアパートに不在だったわたしの携帯におばさんの身寄りがないからと、おばさんが倒れた。と連絡があった。わたしは帰るとすぐに見舞いにいった。しかし、彼女とは話ができなかった。意識不明である。おばさんの実家である秋田から親戚の人が来ていた。おばさんは実は秋田では2番目くらいのお金持ちのお嬢様だった。そんな人がなぜ決してきれいではないアパートにたった一人で住まなければならなかったのだろうか。おばさんとは倒れてから一度も話すことなく永遠に別れることとなった。死をきかされたのも突然で、火葬も早かった。おばさんの隣の部屋だった芸大生とともに火葬場へ急いだが、おばさんはもう骨になっていた。それが本当におばさんなのかもわからない状態だった。おばさんの骨はきれいだった。 言葉少ない帰り道、芸大生と「あの骨を顔料にして絵をかいたら良い色が出そうだ。」などと言っていた。そう、おばさんにお世話になった人達は迷惑部屋のやつらに殺されたと思っている。「猫に餌をやるなら去勢まで面倒みてください。」とわたしは言った。男はだまっていた。わたしは目先の優しさというものが一番嫌いだ。
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