週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 今後の予定 「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜 new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催 '01.7 柏寺島文化会館で個展開催 | 暑いですねー。サッカー熱もますます上昇してまいりました、今日この頃いかがおすごしでしょうか。実は私、幼い頃サッカー選手になりたかった時期がありまして、毎日近くの(公園がないかわりに近所の子供たちが公園として使っていた)保育園に行ってはボールを壁に向かってけっていたことがありました。その保育園も周辺もすっかりと変わってしまいましたが、わたしが幼い頃の風景は今でも鮮明に頭の中に描くことができます。なんてことない、その頃流行ってたキャプテン翼に影響されただけの話しなのですが、そんななつかしい場所にも縁がなくなってしまう状況が訪れました。 わたしの実家の都合で家を手放さなくてはならなくなりました。といっても、わたしが18歳まで住んでいた家というものはすでになく、大学在学中に建て変わってしまったので、家そのものにはたいして愛着もなく、夢にでてくるのも建て変わる以前の家の方でした。ただ、その「場所」には二度とおちつくことはなく、その「場所」で家族全員がおちつくということもなくなるわけです。家をなくした後、家族は各自、自分のために自分の責任で生活していくことになるため、わたしの帰って落ち着く場所というものもなくなるわけですが、これは誰のせいかといいますと、率直には父親のせいなのですが、不況のせいかもしれませんし、田舎の妙な連帯感のせいかもしれませんし、お金よりも違うものの方に重きをおいている竹本家の価値観のせいかもしれませんし、ま、とにかくこれから各自どのように生きていくかの生きざまでよい結果を出していくということでしか、われわれ家族は救われない気もします。 ただこのような家庭状況の中でもじっとこらえてわたしに好きなことをさせてくれている親には本当に感謝してます。大変私的なことをかいてしまいましたが、別に感傷的になってるわけでもなく、今わたしの中で一番気にかかっていることなので、かかずにはいられなかっただけです。こんなことで世間に負けたなどとはいいたくないのです。金がなくたって持ってるものはたくさんあるのです。それを考えればまだまだ幸せです。 ところで話しはかわりますが、この度私、竹本真紀は青森県から、青い森特派員というものに美術作家として任命されました。青森の文化のPRをしたり文化を青森にもちこんだりする役割のようですが、今までもそのような活動はしてきたので同じような感じでマイペースにこなしていこうと思ってます。しかしながら、自分の青森の文化に対する意見などが、直接知事の耳に入る機会ができるなんて、めったにないので、様々な人の意見を集めながら、アートに対するPRをしていけたらよいと思います。それとともに、自分も作品のグレードをもっとあげていけるよう、切磋琢磨していこうと思ってます。 ある人から÷3だったり、取材だったり、作品よりも言ってることが先行しちゃってるのでは?という指摘がありましたが、わたしが文や言葉で主張するスタイルはずっと変わっていないので、このままで行きます。それでわたしがなにもしていなければ、口だけのやつだと思われるだけです。作品発表もこの場での主張も竹本真紀の表現です。作品はできるだけ、÷3に載せることができたらよいし、実際にみていただいたりできたらよいと思っています。 週刊÷3
竹本真紀今後の予定。 | |
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