週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 今後の予定 「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜 new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催 '01.7 柏寺島文化会館で個展開催 | 弘前滞在中、弘前からは少し距離がある、自分の実家八戸へ日帰りした。持ち家を失うことになり、借家ぐらしが始まった実家なのだが、電話向こうの祖母の声が元気がないようで、気になって様子をうかがいに行ったのである。 八戸駅に降り立つと、すっかり立派になってしまった駅に立ち往生してしまった。地元の人も慣れないようでどこかおぼつかない。駅には父が迎えにきてくれた。そのまままだ片づいていないもとの家へ向かった。わたしが大学在学中に新築したため、あまり住んでいないのだが、生まれたときから歩き続けた地面や空気は変わらない。そこへ、ファルコンが来た。ファルコンというのはわたしが上京してから飼った猫である。貸家では飼えないので、弟が預かってくれる人を探している最中でしかたがなく、置いたままになっている。まるまると太っていたのにすっかりやせていて、その土地を去る悲しさを倍増させた。あたりを見回すと、わたしが高校のときに父親に命を救われたチョロもいた。こちらもやつれていた。よく吠えるが竹本家の人間には吠えない近所の犬マルもまだ健在だ。わたしはもう二度と来ないであろう場所をカメラにおさめ、まだ残っている荷物をつんで新しい我が家へ向かった。 新しい我が家はなんだかなつかしいにおいのする良いところで、みんな前の家より落ち着く、と言っていた。祖母は顔面にあざを作っていた。足の悪くなった祖母は何年か前から転ぶことが多くなった。最近もまた転んで、頭から血が流れて、メガネが真っ赤に染まったという。「これだば、ノートルダムの鐘のせむし男だわ。」と祖母は笑って言った。その言葉のセンスに少し関心した。なんてことない、少し元気はないが、新しい電話番号はすでに暗記しているし、いつもどおりの祖母だったので心配だが少し安心した。夜、展覧会のオープニングのため、すぐに帰ることになったが、自分の家族がどのようなところで住むのか把握できてよかった。しかしながら経済的にまだまだ不安定な状況を思い、「家にお金いれれるようにしないとな、、。」などというと、父が、「良い作品を作ることだけ考えろ。」と言った。今回の青森滞在では、様々な発見があったが、ただわたしがどんな作品作っているのかもわからないのだが、純粋に応援してくれている人々がたくさんいるということを強く感じた。
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