週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 今後の予定 「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜 new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催 '01.7 柏寺島文化会館で個展開催 | わたしは普段美術館施工のアルバイトをしているが、先日、日比野克彦展担当だった。そこで、日比野さんと少しばかりお話した。実は奈良展で盛り上がっている青森は、わたしが学生のときは日本文化デザイン会議で湧いていた。そのイベント中わたしは教育実習中で十分に参加することができなかったのだが、日比野さんのプレ企画のワークショップと本会議中でのワークショップには参加した。なぜ日比野さんかというと、当時ちょうど大学院受験に向けて、今まで描いてなかった時間を埋めるように制作に没頭していたとき、先生が日比野さんの画集を参考にしなさい、と手渡したのだ。それが日比野さんに「会いたい」と思うきっかけになったのだと思う。 当時、札幌へ旅行した際、入った美術館でピカソのパピエ・コレをみて、あ、こんなのかきたい。と思ったところ、先生は様々な参考資料を持ってきた。時には源氏絵巻だったり、大竹しんろうだったり、バリエーションにとんでいた。先生とは、奈良弘前展実行委員長としてすっかり時の人となってしまった岩井先生だが、先生は日比野さんの作ったピストルを持っていた。寺山修司の舞台の中で500円で売られていて、それを購入したものらしい。学生のときバスキアの映画をみて、ニューペインティングにも興味がわく。余談だが、絵に文字や記号を取り込むようになったニューペインティングをどんどん進めていくと、中ザワヒデキ氏の「方法」にたどりつく。自分としては、記号や規則性のあるもののインスピレーションから絵をかくこともあるのだが、画面の中に記号や文字をかきたいがために絵のベースを作ったりするが、それをのちのち、とっぱらってしまうとその記号や文字など、規則性のみが残る。すなわち、わたしの中では中ザワさんがニューペインティングから方法へいったことがある意味自然だと思っている。 話は日比野さんに戻るが、デザイン会議のあった翌年3月頃、冬の十和田湖で日比野さんと浅葉克彦さんのイベントがあるというのでいそいそとでかけた。日比野さんは忙しくて来れず、奥さんのひびのこづえさんが来ていた。ちょうど、青森をでるかでないか迷っている時期で(自分の中ではでることにしていたが踏み切れずにいた感じ?)ひびのさんと話す機会があったので、相談した。ひびのさんはご自身の経験もふまえつつよい返事をくれた。だから今わたしがここにいる。といっても過言ではない。日比野克彦展にかかわりながらもそのようなことを考えていた。先生が参考資料としてみせてくれた作品がずらり。ほ、本物だよ!という感じ。美術館のつかえるとこはつかいまくった!という感じの展示。ただ、あきらかに学生時代のわたしではない今、作品に対してちょっとものたりなさを感じてしまうのは、すべての作品から放たれる「YES!!all right!!」という感じのオーラのせいか。日比野さんはデザイナーだからね。と言ってしまえば一件落着だったりするのだが。
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