週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 今後の予定 「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜 new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催 '01.7 柏寺島文化会館で個展開催 | マックが欲しいなと思い、マックを使いこなしている土佐さんにメールすると、「セックス、ドラッグ、ロックンロールと言ってた70年代。セックス、ドラッグ、マッキントッシュと言われた90年代。3つの組み合わせは、どれもアーティストの読み書きそろばん、どうせなら、そろばん習えば?つまり、プログラム」と返事が来る。マックは自分に必要ないかな?と悟る。 それよりも「そろばん」ときいてくらーい小学生時代を思い出す。小学校から帰宅する際、だいたい三つほど帰宅経路が分かれる。一番多いのは学校出てすぐの横断歩道わたってバス停までの方向の人たち。みどりのおばさんが道をわたらせてくれる。わたしは道路を横断せず、そのまま坂をくだる。わたしの帰り道の方向の人はほとんどいなくて、ひとりとぼとぼと帰る。反対側のにぎやかな歩道をうらやましく横目でみながら。 にぎやかな団体が交差点の角の堤池をよこぎるとき、わたしは日用雑貨店の裏手からじめじめした日のあたらない便所の前を通りぬけて信号まちをする。信号をわたると歩道はいっそう狭くなり、人一人通るのにやっとになる。しかも道路も狭く大型トラックがびゅんびゅん通る。その悪い道をまっすぐ行くと道路の向かい側にそろばん塾がみえてくる。そこにも楽しげな団体が出入りしている。それをまた横目でみながら家路を急ぐ。 みんなが習いごとをしているので自分もしたかったが、あっけなく断られる。祖母が習っているお習字だけはお許しが出て二十三歳まで続けることになる。 ある日授業でそろばんの時間があり、クラスのほとんどがそろばん塾に通っていて、みんなスラスラこなしていく中、全くついていけず、途中であてられて泣き出してしまった。困った先生は、わたしの家のそばに住んでいたので、家にわたしをよんで特訓させた。最小限授業をこなせるようになった。今は全くそろばんにお目にかかることはない。大学で小学校教員養成課程だったので苦手な科目はほとんど克服したつもりだったが、「そろばん」は今でもちかよりがたい存在だ。 そんなことを考えていたら、八戸弁で話しまくってる夢をみる。軽いホームシックか?しかし、わたしが頭に思いうかぶ風景はもうどこにもない。そろばん塾も道路になってしまった。住んでいた家もない。あんなに味のあった八戸駅もすっかり新幹線の駅に。わたしの思いえがくふるさとは、もうわたしの記憶の中にしかないのだ。
うさぼん11月18日発売。竹本2ページかいてます。
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