週刊「÷3」

TEXT by Maki Takemoto

竹本真紀 profile
1976
青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。

1992
中学校卒業記念イラスト展 (八戸NHK)文化センター

1994
バンド「根城パラダイス」(八戸西高等学校体育館で一度限りのライブ)

1999
国立弘前大学教育学部小学校教員養成課程卒業
美術科卒業制作展(弘前大学学生会館、弘前VIVRE)

2000
ひいらぎ展 (柏高島屋ステーションモール市民ギャラリー)
美学校トンチキアートスクール入校 千葉県柏市在中

今後の予定
ターナーACRILAWARD2000展(東京展 ザ・グラウンド 13.1.16〜21 札幌展 スカイホール.ササンギャラリー '01.2.6〜11 大阪展 ギャラリーKURANUKI '01.2.18〜24 名古屋展 電気文化会館 '01.3.13〜18)

「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜

new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催

'01.7 柏寺島文化会館で個展開催

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>>TIMELAG/RAGTIMEに参加


 アンダーコンストラクション展開幕。
スペースの狭さからか、たくさんの作家の不満はあったが、いざオープンしてみると、みんなハッピーになって楽しんでいた。
 わたしは、この展覧会で、主に二人の作家のお手伝いをした。ひとりはタイの作家で泥を使った作品のマリア。泥をこねる際に必要な水運びをしたり、彼女が必要な道具を探してきたり、周囲に伝えたりしていた。 彼女は英語で話す。すっかり英語離れしていたわたしにはわからないことだらけだが、彼女がベストな状態で作業できれば、と、努力はしたつもり。マリアさんはとても優しい、気遣いの人であった。会場内で会うと、「真紀、ごはんは食べた?」「休憩はしたの?」と声をかけてくれた。そんなマリアに「真紀は何してるの?学生?」などときかれ、とりあえず自分の作品をみせた。「けんけんぱ」の作品もみせた。すると、タイにもけんけんぱのようなものがあるのだと言う。その場にいた、後で作品を手伝うことになるある作家に「タイにもけんけんぱあるんだって!」というと、その場にいた韓国の作家キムソラさんも加わって、じゃ、あの遊びはある?あるある!!なんてことが始まる。折り紙を使った遊びから、ゴムだんまで、様々な遊びが各国にあってぐっと世界がせまくなった気がした。
 もう一人制作を手伝った作家がいる。その作家はよく知っている人で、わたしにこの展示バイトを紹介してくれた方だ。久しぶりに会うその人はどこかふっきれて、すこしソフトな印象になっていた。いきなり差し出したるは、みかけはラムネのような食べ物。「これ、ニューヨークで流行ってるんだ。」と得意げ。食べてみるとにおいは湿布、味はのどに塗るルゴールの味。バツゲームで食べさせられた食べ物という感じ。しかしそれが癖になるんだよとその人は言う。
 さて展示作業に移る。個人的に話したい話は山ほどあるが、あくまでも一業者として接し、たんたんと作家の希望どおりの展示にできるように進めていく。突然問題発生。すぐ近くの作家の作品がなんとなく形態が似ている。「まずいな、、。」としきりに作家はつぶやく。「納得いかないことがあったらキュレーターに言った方がよいのでは?」と言うと、「でもね、グループ展ではこういうことはつきもの。それでも勝てるものを作らなければ。」と。しかし作業しているうちに意味不明な歌声がきこえてくる。熱唱。そのうち歌は松田聖子の「青い珊瑚礁」に。熱唱。せつせつと歌いあげる。すると、まもなく、キュレーターのもとへ走る。やはり、作品位置を変えてほしい。と申し出る。松田聖子は気持ちを盛り上げるためだったのだ。
 三日間その人の展示にほぼつきっきりになったのだが、思えば、こんなに長い時間、この人と一緒にいたことはなかったよな。だからといって何か話すわけでもなく、たんたんと作業は続けられた。たまに作品や、他の国での展示のことを話す。ずっと作業しているので休憩のタイミングも一緒になる。休憩のときに少し、松沢さんの家に行ったことや奈良さんの青森の展覧会のこと、土佐さんと青い部屋に出演したことを報告した。 実は今回参加している作家の中に土佐正道氏にそっくりな中国人がいた。その話をすると、「オレも思った!おまえに似てるやついるよ!って教えたら明和電機ってメモってた!」と。そんな話をしていて、会場の外に出たら土佐正道氏とユニットをくんでいる杉木ヤスコさんにばったり会う。今回二度目の偶然。一度目は地下のバーで飲んでいたら方法詩人の松井茂氏に会った。そんな不思議な偶然もありつつ、展覧会はオープン。いい感じです。
 オープニングで、笠原出氏に出会う。青森は日本で唯一漆を作っているのだと教えてもらう。なんだかよくわからないが、みんなハッピーになっていた。
 翌日、築地に田中槐さんや松井茂氏の朗読会を聴きにいく。方法以前の松井氏の詩を聴く。といっても方法がそのころから現れている。しかし、詩や歌はもともとが方法にもとづいているものね。松井氏が大学1年にかいたのだというその詩は実は結構好きだ。後で感想を求められて「松井さんて落ち着いてるけどやっぱり、わたしと同年代だったんだね。」というと、「若さがでちゃった!?読まなければ良かった、、。」なんて言っていた。その後打ち上げに行き、様々な温かい人たちと知り合う。笑いの基本を守る松井氏を横目に。 その打ち上げが終わり、すぐに渋谷へ向かう。青い部屋に土佐さんやソワレさんをみにいく。今回の土佐バンドはジョンレノンということでその妻はヨーコということで「港のヨーコよこはまよこすか」で始まる。途中でドラムが松陰さんから土佐信道氏になる。土佐兄弟二人のステージを久しぶりにみる。もちろん土佐さんに似た中国人がいたと報告する。


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