週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 今後の予定 「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜 new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催 '01.7 柏寺島文化会館で個展開催 | あけましておめでとうございます!!今年もよろしくお願いします!!でもって緊急告知。竹本真紀あけましておめでとう個展。題して「支点にピストルを撃つための展覧会」2003年1月6日〜1月18日まで。(日曜休廊)11時30分〜19時まで(最終日16時まで)今回は小品中心ですが、がつんといきます。場所は小野画廊京橋U。昨年4月にできたばかりのスペースです。椿ギャラリーの路地入って、藍画廊向かいのビルの2階。ビルの扉にポスターなり貼っておきます。 新年唯一のお休みがあり、方法詩人松井茂氏とともに富士山のみえる町へ。富士山がきらい。というその方のお家からはちょうど木に隠れていて富士山はみえない。駅で松井さんとわたしを豊田市美術館の学芸員さんとともに迎えてくださって、すらっとした体つきとは対称的な2ドアの赤い自動車でわたしたちを送り迎えしていただいた。車は市街地を通り、こんなに近くで富士山みたの初めてだよ!!と興奮しまくるわたし。 道路標識に出てる「田子の浦」をみてさらに興奮。万葉集を研究していたという松井さんは柿本人麻呂になりたいという。松井さんの「あれが富士山だよ。」の言葉に高校の古典の先生の「富士山だよー!!」「鹿の子まだらに雪が降るんだよー!!」の絶叫を思い出して一人でふきだしてしまう。風景はだんだんと緑に囲まれてきて、市街地も小さくなってくる。ついに到着!河原温邸!とても広いお家で木の香りがとても気持ちのよいところ。そもそも、なんでここに来ることになったかというと、松井さんに誘われたからである。豊田市美術館の方は今年松澤宥氏などをよんで展覧会をするらしく、松井さんもその展覧会に抜擢された関係もあって、いらしていた。河原さんはニューヨークで松井さんの詩をみてたいそう気にいってしまい、松井さんに会いたい、ということになり、それからのおつきあいらしい。まさにおまけのようなわたしの存在だが、そんなこともどうでもよいくらい、河原さんはきさくで元気でよく話す方だった。わたしは習字で「健康」とかいて河原さんのおでこに貼り付けたいくらい、エネルギーがみなぎっていた。不思議なことにもうじき青森へ行くとのことだった。作品のイメージとはまったくギャップのある方だった。もう70歳にとは思えない。世界のことも日本のこともよく知っていて好奇心の旺盛な方であの、年号をかいただけの「Date paint」にもしっかりとしたうらづけのできる河原温氏の知識量や観察力には圧倒された。中でも、海外のキュレーターが企画した、世界中の幼稚園に「Date paint」を展示する企画はかなりわたしのおきにいりだ。河原さんは色だったり本作りだったり、こだわるところには徹底してこだわる人でもあった。 そんな河原さんのお家で松井さんのお母さん作のおせち料理をいただいたり、河原さんがどこからか仕入れてきた波動そばや、すきやきをばか話もしながら、たらふくごちそうになったのだった。楽しい時間はあっというまに過ぎ、おみやげに例の幼稚園の展示のスウェーデンのときのカタログと「アタマにくる一言へのとっさの対応術」というなんともたのもしい本をいただいて帰る。 帰りの新幹線で松井さんとお話して帰るが、最近松井さんと話していて、やっぱり同世代の松井さんだということがわかってきてとても心強い感じがしている。竹本さんももっと勉強しなきゃだわ。なにしろ、よい年になりそうでなにより。 今年もよろしくおねがいします!
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