週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 今後の予定 「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜 new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催 '01.7 柏寺島文化会館で個展開催 | 最近、「÷3いつも読んでますよ。」とか、「あなたのことは調べはついてます。」と記者の方や、青森県のお役所の方がプリントアウトした「÷3」を出したり、「なんか調べものしてたらあなたのホームページに行き着いちゃったわよ。」なんてことが多くなってきた。そのたびに顔が赤面。「あー。今週の÷3何かいたっけ。」なんて思いかえしたりする。間違っても人の悪口なんぞはかけない。いや、悪口なんかいわないですよ。あくまでも納得ならんことはかいてしまったりするが。 そういえば、今週って個展してました。「そういえば」って言うくらい会場にいない。個展に来ていただいている方々には本当に申しわけないです。とともに、芳名帳をみて、あー、この人来てくれてるよ、話したかったよ。なんて残念な思いもあったり。中にはわざわざ感想をメールで打ってくれたりする方もいて、感謝の思いとそこにいれないこての残念さを同時に感じたり。 今週ちょっとしかいれなかったわりには新しい出会いもあったし、おもしろいこともあった。まず、妹が初めて個展に来た。妹はわたしと年が離れていて、今年の4月に成人になる。マンガ家をめざして上京中。新聞配達しながら専門学校へ通っている、涙ぐましいやつなのだ。妹は竹本家が傾いて一番ひさんなときに家にいたので、逆にホームシックなどなく、家のごたごたから離れることができてさっぱりしているようだ。そんな妹はわたしの作品をみて「わけわかんない。」の一言。ちょうど、小沢剛クラスで一緒だったまきちんもやってきて姉妹の会話がもっと派手になまってほしい!と反論される。ちなみに妹は次回のうさぼんに参加することになりました。よろしくお願いします。妹の方が絵がうまいです。 わたしがいるときに、東奥日報社の記者さんがちょうどいらっしゃった。わたしを青い森の特派員に推薦していただいた秋田さんは青森本社に移動になり、廣瀬さんという方が取材に来てくださった。廣瀬さんの熱心な質問に答えていると、いつも銀座界隈をまわっている方が来る。そして思い切りけなす。(といってもこの方はもうちょっとこうしたらいいのに!!という感じ。でも基本的にはわたしと趣味はあわないのだが)すると、廣瀬さんかしきりにうなづいているではないか!ま、まずい。この人の言い分を鵜呑みにしてはならない!!と心の中で叫ぶ。「あなた作家性というものを投げちゃってますよ。」と言われ、「投げちゃってますよ。」の一言に内心喜んだ。「捨てちゃってますね。」「投げちゃってますね。」と自然に人に言わせる作品を作りたかったのだ。とりあえず意見はきき、わたしはこんなこと考えて作ってます。ということだけ告げると、しばらくして「次回またみにきます。」と言って彼は去った。とっさに廣瀬さんに「ま、あんな意見の人もいますしね。」なんてちょっと弁解。しかし、廣瀬さんに逆に励まされる。「さっきの方は一般にわかるような入り口も作った方がよいとおっしゃってたけど、わたしのような素人目からみても感じるものはあるから大丈夫。」と。 その後、高校の同級生がプリンを持って来る。彼は東京で働いていて、個展に来てくれたのは初めて。高校のときはほとんど話さなくて私服で集合写真なんか撮った日には「この人が先生?」なんて言われるような人だったが、突然大学ではじけちゃったらしい。今の方が高校のときより若くみえる。そんな彼に「竹本は早死にする。」と忠告される。そうか?いや、わたしは長生きするね。そんな感じで1月18日まで個展やってます。小野画廊京橋Uにて。藍画廊の向かいのビル2Fですー。よろしくー。
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