週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 今後の予定 「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜 new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催 '01.7 柏寺島文化会館で個展開催 | 今週の週刊÷3は反戦について。 アートだのなんだのって言ってらんないわよ。戦争が起ころうとしてんのよ。なんて言ってみるのも、アーティストっぽいわね。なんて。、、、反戦、地球平和、幼い頃はそんなことを強く願っていた。確か八戸市の公会堂で「はだしのゲン」をみたり、24時間TVの手塚治虫アニメをみたりして、反戦の思いがつのったのだと思う。その頃は飛行機の音がすると異常に反応し、耳をふさいで「わーっ!」と声をあげてきこえないようにしていた。八戸できく飛行機の音なんて、三沢米軍基地の飛行機や、自衛隊の飛行機の音だろう。三沢米軍基地だって、年に何度か行うお祭りに航空ショーをみにいった楽しい思い出しかない。現在のわたしはどうか。戦争に対してもテロにかんしても、遠い国での出来事にしか思えなくなっている。大変なことになっているのはわかるのだが、自分にさしせまっていない。リアルでない。テロのときだって問題提起するべきだ。と頭で思っても、なんだかうすっぺらい気がしてしまった。オノヨーコさんがイマジンを唱えることが非常にリアルで、実際泣けた。自分にさしせまってなくて、リアルでないのに「反戦!」と頑張ったところで自分は偽善者のような気がしてしまう。 オノヨーコさんはその場にいてそのど真ん中で「WAR IS OVER」を叫ぶ。それがホントな気がした。なにかが違う。なにかがおかしい。「反戦」というのはよい。「反戦」という言葉をつかう場所、つかう時によって本当の「反戦」になっていない気がする。理屈ばかりこねていても、自分の中には「戦争反対!」の叫びはある。そう、「反戦」という言葉がすごく距離感がある。十枚強化ガラスのこちら側で「反戦」を言ってる気になる。わたしが一番アンチテーゼしたいのは、「反戦!!」と心の底から叫ぶことのできないわたしもふくめた日本のなんとももやもやとした空気かもしれない。ただそこには敵も姿をみせずゆらゆらとあいまいなつかみどころのない空間が広がっているばかりで、テロリストもどこをねらったらいいのやらと言った感じなのだ。北朝鮮と韓国の問題も、在日韓国人の友達に出会ったことで初めて理解したし、重要な問題だと思えた。イスラム教の友達と学生寮で過ごして初めて宗教の違いによる生活の不便も知った。恐らく、自分の知り合い、近いところでいえば自衛隊の友達が戦争に行くことになったら、すごく実感がわくのかもしれない。実際、そのときになってしまう前になんとかしなければならないのだろうが。、、、ということで、この場をかりて言わせていただきます。 「戦争反対。」
ここは平和なので個展情報。
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