週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 今後の予定 「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜 new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催 '01.7 柏寺島文化会館で個展開催 | まだ暑いのにそうめんのつゆを買いにいったら鍋のもとになっていた。最近巷では大地震が来るという情報がでまわっているらしい。ちょうどこの÷3が更新される頃だ。大地震に備えていても来たらいっきに何もかも崩壊する。のどかな町並みを見つつ、この風景がいつか消えてなくなるかもしれない恐怖を時々覚える。実は小四のときからノストラダムスの大予言を1999年7月が終わるまでずっと信じていた。自分にも地球にも限りがあることを知ってしまってから私は作品を作らずにいられない。 高三のとき大地震に会う。神戸の大震災の約一週間前。八戸で三陸はるか沖地震があった。今までで経験したことのない大きい地震だった。そのときのことを同級生と話しながら酒を飲む。高校の同級生は今でもみんな仲が良い。久しぶりに会っても当時の話題で盛り上がる。みんなそれぞれ人としても成長しているので今の話をしても面白い。だいぶ離ればなれでいるうちにほとんどの人が結婚して子供を持っている。ちょうど仕事ばりばりやって落ち着いた頃なんだろうな。 一つの訃報をきく。高一のときの担任が亡くなったらしい。なぜかその話をきく三日ほど前、バイト先でこんな変な英語の教師いたよ。と話していたばかりだった。英語の先生でいいのかよ?というくらいなまっていたし、髪の毛もよくばくはつしたりしていた。そんな先生がボートに乗って釣りをしていたら突然ボートが炎上して亡くなったとか。壮絶死。なぜか訃報なのにみんな大爆笑だった。確かにショックはあるが、おもいっきり個性の強かった先生がおもいっきり個性の強い死に方で終わった。本物だ。こんな風に人はいつか終わってしまう。毎日悩んだり笑ったりしていても。すべてが無だ。無駄ではない。でも無。なんのために存在するのか?それも無。やはり作品つくるしかない。無意味でも。卒業アルバムに書いてある先生の寄書きをよんでみた。「君の度胸にはほれぼれする。名実共に立派なリーダーだ」怒られてばかりだった気がしたが、そんな事が一言書かれていた。
@記憶処理研究所代表竹本真紀より業務連絡。
@ノックアウトマウス 第三回 公演
@ソングピクチャーズ
@竹本真紀個展 @方法詩人松井茂氏と「8」で地味に活動しています。
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