週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 今後の予定 「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜 new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催 '01.7 柏寺島文化会館で個展開催 | この÷3が更新されているころには札幌から帰ってきていることでしょう。生まれて初めての飛行機搭乗を前にしばし緊張ぎみであります。勝手に挑戦状と思っている札幌からの結婚式招待状。うけてたちました。札幌に行くのは人生で四度目。 一度目は高校のときの大学受験で、北海道教育大学札幌高の推薦入試をなんとなく薦められてなんとなく受けにいきました。母に付き添われて札幌の駅近くにホテルをとり、郊外の大学へ入試に行ったのでした。パンフレットの大学はとても都会的に見えていましたが、実際行ってみると、大学の周りにはほとんどなにもなく、木枯らしがぴゅうぴゅうと吹いていたので した。入試の小論文も面接も笑いはとれたがだめでした。後にこの受験会場で出会った青森市から来た娘となぜか弘前大学でともに学ぶことになります。ホテルに帰ってみるとベッドの上のゆかたに折り鶴がのっていて、母が「こわっ。」と言ったのを覚えています。鳩と人間の数の多さにたまげました。 二度目は今回招待状をくれた友達のお誘いで明和電機のライブを見にいきました。このときは明和電機のライブと4プラで買い物をしたのと雪印パーラーでアイスを食べたということが記憶に残っています。明和電機は友達が教えてくれるまで知らなかったし、後に土佐正道氏とステージに立つことになろうとは思いもよりませんでした。後日、友達のアパートにいくとクラフトサバオが散乱しておりました。 三度目は18切符で一人旅。途中までやはり同じ友達と行き、友達の家に泊めてもらいました。函館、札幌、富良野、小樽とまわりました。唯一大学生らしい夏休みでした。今回結婚する彼女とはもともと学生寮で一緒でした。ほかにも仲の良い人は数名おりましたが、なぜ彼女と二人ずっと付き合いがあるのかというと、二人とも団体生活によって生じた女同士の確執や学生運動の名 残である変な風習の犠牲者だったからだと思います。二人が犠牲者になったとき、普段仲の良かった友達はそのときだけ姿を消しました。だから二人で立つしかなかったのです。今回札幌で泊めてくれる先輩も寮で同じ部屋でした。おっとりしているのですが、周りに何を言われてもマイペースで4年間学生寮暮らしを通したのでした。寮をでる手助けもしてくれました。今回結婚する彼女は先に寮を出ました。私は残り、寮長になりました。そして心の病に悩まされました。寮長任期終了の日、0時すぎわたしは夜逃げのように寮を急いででました。人間がぎりぎりになったとき、他人を思いやれる人というのはほんとうに少ないです。わたしは学生寮で人間の汚いところを目の当たりにしました。だからそんなときに協力しあった友達が大事なのです。だから今回わたしはどうしても札幌まで行きたいと思ったのでした。
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