週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 今後の予定 「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜 new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催 '01.7 柏寺島文化会館で個展開催 | 東京文化会館にて詩人松井茂氏がてがけた作品が東京混声合唱団によって演奏されるというので、聴きにいきました。わたしは毎回音楽のコンサートなどにいくたび、ここにかくことになりますが、専門的なことは何もわかりません。詩についても同じです。ただ、詩は命懸けでかくものだということは聞いています。それはわたしが作品を命懸けで作るというのと似ています。 プログラムには今回使われた詩がことこまかく掲載してありましたが、わたしは絵をみる前にキャプションをみるのと同じような気がしたのでみないでただ演奏にききいることにしました。作曲鶴見幸代さん、作詞松井茂氏「縞縞」。これは松井氏から時々聞く「縞縞学」のそれだと思われます。舞台の上の混声合唱団と舞台のそでの数名のコーラスの人たちで編成されていて、舞台のそでの人たちは「ししし、ままま、、、」と指で「OK」の輪のようなものを作って歌っていました。わたしは舞台のそでの人たちが好きでした。 演奏は演歌もありで、松井茂氏の詩の退屈な感じ(悪い意味での退屈ではないです)はなかったです。 あるとすれば舞台のそでの「ししし、ままま、、、」と舞台上でなにがおころうとも歌い続けている人たちでしょうか。 しかしながら、「合唱」を聴くのは久しぶりです。大学の卒業式で合唱部が誰も知らない校歌を歌っていたのをみたのが最後です。ましてやプロの東京混声合唱団なんて初めてです。その前は中学校の校内合唱コンクールでしょうか。といってもバカにできませんよ。 私の卒業した八戸市立根城中学校は合唱の名門校でした。わたしが入学した頃は先生が引き抜かれた後でしたが、しばらくは合唱部が日本一を独走していたようです。年に一度クラス対抗の校内合唱コンクールというのがありまして、八戸市公会堂を借り切って行われます。合唱をもって団結をはかろうというものですが、2年生のとき、優勝したのを覚えています。担任がだめな人だったので団結力が逆に強いクラスでした。しかし、わたしはコンクール前日、担任と大喧嘩をして当日声が出なくなってしまいました。わたしは歌えないまま口ぱくでコンクールに出てクラスは優勝しました。あまり良い思い出ではないですね。 それはさておき、松井さんこの度はおめでとうございます。わたしもいいかげん活動再開します。とにかく頑張りますのでみなさんよろしくお願いします。
| |
N-mark.com Copyright 2000.N-mark.com,All rights reserved. |