週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 今後の予定 「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜 new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催 '01.7 柏寺島文化会館で個展開催 | おめでとう!!日本女子バレーオリンピック出場決定!!というわけで元バレーボール部としてはうれしいニュースでもあり、一瞬でもバレーボールの試合風景をみた日には涙ちょちょぎれるものがあります。最近は時を経て落ち着きましたがつい自分の部活風景を思い出してしまったりするわけなのです。 ここでわたしの部活歴をちょっと公開します。小学校4、5年は絵をかく時間が欲しくて部活をしていません。ちょうどノストラダムスの大予言を聞いたばかりでうかうかしていられないと思ったピーク時で外でも遊ばなくなりました。 小学校6年生は担任の先生が何も部活に入らないのなら合唱部に入れるぞ。とおどすのでかなづちの友達と泳げるようになるために水泳部に入りました。その結果クロールで25m泳げるようになりました。しかし、水泳部は夏限定なので冬、結局合唱部にいました。 中学校1年生は美術部に入部しました。新入部員はわたし一人でした。どこへ行っても先生に「あなたは絵をかいてさえいればよい」と追いかけられた上、「退部しません証明書」までかかされましたが担任と親の力で脱出しまし た。 その後小学校の経験と先生が良い人だったということで水泳部へ入部します。しかしその先生はすぐ転勤しました。後からいやな先生が来ていやな思いをしました。中学校の水泳部は冬は筋トレでした。中学校終わり頃にワールドカップバレーをみて感動します。急に家で筋トレ開始します。 高校入学と同時にバレーボール部入部します。とにかく練習ばかりしていました。技術が伴わないのに筋肉ばかりついて「筋肉マン」と言われます。その翌日友達が前髪を切り過ぎて「キン肉マンとウォーズマンの対決」が実現します。部活帰りにトラックと接触して「トラック」と呼ばれていました。 そして大学に入学し、なやんだあげく1か月後にバレーボール部入部しました。優勝トロフィーで一気の地獄が待っているとも知らないで。大学では体育科で県選抜のチームメイトにしごかれ、お水をしながらバレーボールしているマネージャーに礼儀をたたきこまれました。このときもやたら練習好きで部活終わってもまだやっている男子部に混ざって練習していました。とにかく毎日バレーボールがうまくなりたくってしょうがなかったです。部活では良い結果を出せませんでしたが、得たものはたくさんありました。 なんだか高校生の作文になってしまいましたが、バレーボールはわたしにとって麻薬のような作用がありました。それほど狂っていました。今考えますと。
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