週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 今後の予定 「ガチャポン・トンチキ・プロジェクト」東京都現代美術館 ギフト・オブ・ホープ展内 '01.1.20.2:00〜 new!'02.2 銀座小野画廊IIで個展開催 '01.7 柏寺島文化会館で個展開催 | 最近雨の日がつづいております。竹本は無事個展を終え、北総ラリーアートの準備で大忙しです。しかしながら、プライベートの方はよくわからんもめごとに巻き込まれてしまったりと、なかなか自由の身にはなれません。「まき」という名前だけに、昔から何もしていないのに何らかのもめ事に巻き込まれてしまうことがよくあります。高校生くらいまでは自分からあえてもめ事に首を突っ込んでしまっていたのですが、まあ、今も多少そのようなところはあるのですが、できるだけ他人のことにはかかわらないようにはしているのに巻き込まれることがあるのです。それはよく道をきかれることが多いのとなにか関係しているのかもしれません。また、小学生のとき、わたしは周りになじめず、休み時間はみんなと遊ばずに教室の隅で本を読んでいるか、絵をかいている子供だったので、(でもおとなしい子ではない。)てっきり友達は少ないと思っていたのですが、あるとき人気投票のようなもので、「仲の良いお友達をかいてください。」のクラスNO.1になったときは驚きました。わたしは口数が少ない分、手の出るたちの悪い子供で、いじめっ子や気にくわない男の子がいるとすぐたたいてしまっていました。そんな凶暴な自分が周りに友達だと思われているとは夢にも思いませんでした。家でも常にキレたり泣いたりしていたので、家の人間にもあまりよくは思われていませんでしたから。かわいがられることはかわいがられていましたけれど。 大学に入学し、美術に専攻を変えてからというもの、わたしは寝に帰るか、バイトに行く以外は学校にいたのですが、そうやって学校で1人で作業していると誰かが部屋に入ってきていろんな話をしていくのです。わたしにそんな話をしていいのかよ?みたいな話まで。話す人は話すだけ話して帰っていきます。わたしは何も言いません。ただ聞いているだけです。その人の人生がどうであろうと、その人がそれで一生懸命生きているならばそれでよいと思うのです。道徳的に道を外れていなければ。 極論を言ってしまえばわたしは奨励するつもりはありませんが、援助交際だってお互いがそれぞれいい思いをしていれば何の問題もないと思うのです。ただその中に、なんとかして相手からお金をぶんどってやろうとか、だましてやろうとか、相手に嫌な思いをさせてまで、自分の利益を追求しようとするとおかしなことになるのです。これは極論ですけどね。 学生の内までは、ちょっとした曲がったことでもいっさい許しませんでしたが、社会にでて、多少理不尽でもそうしないと企業つぶれちゃうよ。とか、そうしないとクビになっちゃうよとか、生きていくためには多少妥協しなくてはいけない部分はたくさんあるということがわかりました。しかし、そういう部分での妥協は仕方がない。しかし、人権的、道徳的に間違った方向へ妥協してまでお金が必要か?というと、わたしはそれは許しません。職を失ってもわたしは信念を貫くべきだと思います。プライドはつまらないところでなく、使うべきところに使うものだと思います。いくら、高級ブランドの服やバッグを持っていても、人としてのプライドを捨ててしまったら終わりです。わたしはブランドもののバッグも服も持っていないけれど、それ以上に価値のあるものをたくさん持っていたい。ただ、いままではそういって生きてこれたけれど、そうもいかないぜ。というところでどれだけ踏んばれるかでも自分の価値がかわってくる。そんな壁にぶちあたった今日この頃なのでした。純粋さを維持するには、かなりの精神力がいるのです。 わたしはよく、純粋、純朴、といわれますが、汚いものを見たり、知ったり、聞いたりする中でも貫くものがあるから、そういられるのだと、うぬぼれではないですが、そう思っています。相当頑固でわがままなのです。なんて偉そうなことを言ってもバランス崩してぐったりしていたのですけどね。しょうがない、人間だもの。
北総ラリーアート
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