週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 | 躁鬱の人からのメールは、なんの前触れもなくやってくる。けらけら笑っていたかと思えば急に怒ってみたり、しかしながらわたしが今まで出会った躁鬱の人というのは大半が自分のことをいつも攻めている人だった。 しかし、最近は攻撃型躁鬱の方に出会うことがある。学生の頃彼が躁鬱で苦労していた先輩が、「なぜだか躁鬱の人が集まるふきだまりになる人というのがいるんだよね。」と言った。「あたしもそうだけど、真紀ちゃんもそうだよ。」と。自分に霊感があると認めると、救われないあちらの方々もよってきそうなわたしは、「わたしには助けることはできません。」バリヤをはっているつもりなの だが。 しかし、前ほど変なメールには動揺しなくなった。「もっと作品づくりに集中しろ!」と急にメールが来たこともあったが、「結果を出すからみててください。」とだけ返信。「Hより楽しいことしてみませんか。」とメールが来た。「わたしはHが人間の欲求を満たしてくれる最大のものとは考えていないので『Hより楽しい』ものには興味をそそられません。」とだけ送る。「また睡眠薬を飲んでしまいました。」まだメールを発信できてるから大丈夫だと信じる。 時にはメールでなく言葉でくることもある。「お疲れ様〜。」とにこにこしていた子が急に「目障りだからあんたバイトやめて。」と急に言ってくる。次の日にはにこにこして腕をからめてくる。 土地がやせて栄養分が少なくなっているため、躁鬱、不登校が増えている。という説もある。人間誰でも躁鬱はある。わたしだってあるが、そんな自分とつきあうのが他のどんな人間とつきあうのよりも難しい。しかし、わたしがそれでも日常生活をまともに過ごせているのは美術家だからだ。 美術家は狂っているけれど、プロだ。また、狂っていないと美術家ではない。とも言える。しかし、美術家は前向きな職業であって、世間一般で生きていけないための甘えた理由、口実ではない。狂っていても、常に平であるように勤めるべき美術家。バイオリズムの波の湾曲に作品をうめて平にするのが美術家。そうは言っても難しい。「人間だもの。」ですまされないのも美術家。 竹本真紀個展 平成17年1月17日(月)〜22日(土) 午前11時半〜午後7時(最終日午後4時まで) 銀座 小野画廊 | |
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