週刊「÷3」

TEXT by Maki Takemoto

竹本真紀 profile
1976
青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。

1992
中学校卒業記念イラスト展 (八戸NHK)文化センター

1994
バンド「根城パラダイス」(八戸西高等学校体育館で一度限りのライブ)

1999
国立弘前大学教育学部小学校教員養成課程卒業
美術科卒業制作展(弘前大学学生会館、弘前VIVRE)

2000
ひいらぎ展 (柏高島屋ステーションモール市民ギャラリー)
美学校トンチキアートスクール入校 千葉県柏市在中


 高円寺のショップ&カフェ&ギャラリーのスタジオZONEへ行きました。高円寺駅をおりたのは初めて。ついつい古着屋のはしごをしてしまいます。  先日個展に訪れた原万希子さんの紹介で、美学校の藤川さんのところへ行って場所と連絡先をきいて大谷さんという方に問いあわせると、「原さんにきいてますよ。」ということで、高円寺まで行ってみました。一見おしゃれなデザインオフィスのようにもみえたので、通り過ぎそうになってしまいました。できたばかりのスペースときいていましたが、結構しっかりとしたスペースで、ついつい長居しちゃいそうです。今までの展覧会の写真も見せていただきましたが、なにやら楽しそう!美学校のテイストが今風になったスペースといった感じでした。
 わたしの作品とファイルをみせると、大谷さんはずっと笑ってました。「おもしろい、おもしろい。」と、つぼに入ったようです。 ショップで売っているアーティストの手作りグッズもおもしろいもの&作りのよいものばかりでついつい買ってしまいました。わたしは4月にLIVEと結婚式のパーティがあるときに展示をすることになり、しかも結婚式はギャルの結婚式らしく、ギャルが集結するらしく、わたしの作品に囲まれるギャル群をはたからながめるのもかなりおいしい展示かなと思っております。
 翌日、なぜか偶然に柏で知り合った、弘前大学教育学部美術科の同窓生、高安君の親戚のおじさんが個展をみにきて、「青森君にプレゼント。」(わたしのことを青森君と呼ぶ。自分も青森出身なのに。)といって知り合いのギャラリーを紹介してもらいました。そこは東川口のKENArtGalleryというところで、わたしの作品の傾向に会うかしら、、、という不安を持ちながらも会ってみなければわからない!と思って会いにいきました。行く途中、「これは、新松戸行きますか?」と婦人にきかれて「行きますよ。」と答えたものの、婦人のイントネーションが気になっていました。わたしも新松戸で乗り換えだったので、「どこへ行くのですか?」なんて話しているとでてきたよ津軽弁。すかさず青い森の特派員名刺をさしだしてしまいました。気がつくとそれは手持ち最後の名刺で、ギャラリーに出す名刺がない!!いや、作品が名刺がわりだ!なんて思いながら到着すると、「逆に竹本さんが紹介してもらってご迷惑ではないかと、、、。」とずいぶんと謙虚な発言。とりあえずお話をすすめていくうちにオーナーの西田さんの求めることと、わたしのしたいことというものがなんとなっくかぶっているところが出て来て、わたしのようなものでも必要としてもらえるなら頑張っちゃおうかな。という感じで、西田さんにいろいろと協力していただきながらも6月頃に個展をすることになりました。というわけで展覧会めじろおしですよ!

@東京都西荻窪のニヒル牛で、記憶処理研究所、クライアントの未処理記憶サンプルを100円で販売中!
その他、カンバッチ、ポストカードも販売中です!

@横浜BankARTでの展覧会 「ReadingRoom」
2005年2月18日(金)〜3月15日(火)
11時半〜19時(会期中無休)
BankARTstudioNYK
前売り 600円 当日 800円(併催展「食と現代美術」「EvolutionCafe」と共通チケット)
出品作家
大久保亜夜子 川崎昌平 酒井翠 竹本真紀 東野哲史 BookPickOrchestra

@東京青山のGalleryARTSPACEでおもしろい4人展します。4月頃(詳細が決まり次第お知らせします。)

@個展
2005年4月13日(水)〜4月18日(月)
11:00〜20:00
StudioZone(高円寺)

@個展
6月頃東川口のKENArtGallery


ニヒル牛でいろいろ売ってます!
追悼小さな冒険者
トンチキアートクラスの仲間のひとりが先日お亡くなりになりました。いくつだったのだろ。わたしがトンチキにいた頃は彼女はまだ20歳だったと思う。最後に会ったのは美学校の松沢宥氏の講演会だった。「しまだきれいになったね。」(トンチキでわたしはしまだでした。)と、かわいい笑顔で言ってくれたのを覚えている。連絡網の先の友人に伝えると「その人の選んだ選択肢だからしょうがない。」とさっぱりした応答が帰ってきた。わたしも正直なところ、彼女の死を知ったとき、ぴんとこないせいもあるかもしれないが、なんかあっさりしていた。いつかこの日が来るかもしれないと思っていたからかもしれない。ただ、あっさりしていては悪いような気がして、体裁を守るために残念な態度をとったという感じだ。前にも述べたように、彼女はいつも死ぬのではないかという感じをもっていた。それはアフガニスタンに行ったり、津波のときにマレーシアにいたりと、よく危険なところに身を置いていたからだ。しかし、彼女は自ら選んだ。周囲があっさりしているのは彼女自身も死に対してあっさりしていたからなのかもしれない。しかしながらもう、彼女とどんなことがあってももう合えないということは事実で、何かの拍子にそれを感じさせられることはあるだろう。いずれにせよ、御冥福をお祈りする。

 N-mark.com
 Copyright 2000.N-mark.com,All rights reserved.