週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 | 芸大の展示も終わり、芸大で展示したものはひみつギャラリーで継続して展示することになっている。わたしの作品は大きいので、ひみつギャラリー用にミニサイズを作った。 「芸大」と一口に言っても、7年前に思った「芸大」はとても高いハードルに思えた。実際大学院を受験して、そのハードルは、自分が走ってたコースの全く違う場所に立っているのではないかと思った。今回芸大に展示して、そのハードルはもうわたしの視界には入らなくなっていたことがわかった。 弘前はおもしろかった。学校を卒業してまた改めて行き、学校の外にもっとおもしろいところがあったのだと知ったのだが、在学中は地獄のような日々でもあったが、それは今財産になっている。 弘前大学入学の前に寮に入寮したが、そこでまっていたのは酒であった。毎日酒、酒、で、入学式にはみんな酒臭くてぐったりしていた。寮は、大学付属の小中学校や社員の社宅と同じ敷地にあり、食堂で男子寮と繋がっていた。学生運動で大学から自治寮として権利を獲得し、いまだその行事やシステムが残っていた。 他にもう一つ、北溟寮という寮があり、こちらは歴史が古く、鈴木清順監督の弟の鈴木けんじ氏がよくここの寮のお話をする。鈴木兄弟は旧制弘前高等学校の出で、清順監督は「弘前高等学校青春物語」という映画も作っている。なぜかナディッフでビデオが売っていて買ってしまった。 一年生のうちは共通教育というのがあって、弘前大学のすべての学部の生徒がごちゃまぜになって授業を受ける。なので、医学部の連中とも一緒に授業を受けて、全く頭の構造が違っていて愕然とさせられたこともあった。 わたしは一年では小学校の専門教科、副専攻の国語、共通教育を受け、教育学部の体育科所属のバレーボール部に入り、あとはバイトをして、たまに六畳二人部屋で机に向かって絵をかいて、たまに寮の行事や仕事に参加して、という感じで、美術とは縁遠い生活をしていた。しかし、小さい頃から絵をかくことは当たり前のことなのでいつも絵はかいていた。紙にかく程度だが。 二年になり、漢文ゼミに入る。説文解字という漢字の成り立ちを記した辞書を解読するゼミだ。そして寮長になり、忙しすぎて頭がちょっとおかしくなった。そしてたまたまきいた美術の授業でまた美術の世界に引き戻され、片っ端から美術の授業をとり始める。途中から美術科のあたりに現れたので、ちょっとよそもの的な感じで授業を受けはじめる。ちなみにわたしが大好きだった授業は国文学の故長野隆先生の国文学概論、村上善男のデザイン、が好きだった。 三年から美術ゼミに入るが、岩井康頼先生のゼミで週に一度現代美術の勉強会というのがあって、先生からいくらかもらっておかしを買いにいくのが結構楽しみだった。 時には学食の二回にカフェがあってそこでお茶をしながら作品についていろいろ話をしたりした。 弘前には画材屋が太平洋画房(だったかな?)というところしかなくて、そこの店主が異様な雰囲気をもっていて、またなんとも臭いにおいがして、あやしい店だったがそこしか絵の具を買いにいくところがなかった。 4月の個展でクサカベさんに絵の具を提供していただいたが、窓口になっていただいた方が太平洋画房に行ったことがあって、あやし話に花が咲いてしまった。そこに小泉今日子似のおばさんがいて、その人が唯一の救いだったのだが、卒業後弘前で展覧会をし、そこでライブをやったビデオをあとで送ってもらったが、その小泉今日子似のおばさんが「大野一雄まだ生きてるか!!」と叫んでいて驚いた。 岩井先生のお家もおもしろい作りで、行くと先生がパエリアを作ってくれた。 三年の寮長の任務が終わった日、夜逃げのように寮をでた。ちょっとずつ荷物を普段から運んで、最後に友達の車で布団など大物を運んだ。 食費込み1万5千円の生活から家賃1万5千円のアパートへ引っ越し、心の病も落ちつく。 バイト先のそばやのある鍛冶町にも近くなり、今では奈良美智展に使われるようになった吉井酒造倉庫の近くで、わたしはその建物が好きでいつもそこの前を遠ってそばやに行っていた。そばやは18時から2時まで営業で、出前もある。お盆にそばや中華そばをのせて近くのお店に配達するのだが、スナック、ホストクラブ、ピンサロ、イメクラ、普段入ることのない店を自由自在に行ったり来たりした。 古いエレベーターに乗るのが好きだったり、ビルとビルの不自然なつなぎをわたっていったりそれなりに楽しんでいた。店がわからないと呼び込みのおじさんにきいてまわったりした。 四年になってから、絵をかく場所を与えられた、恐らく芸大とは比べ物にならないくらい狭い。わたしはほとんどそこに住み着いたようにずっといて、家には寝に帰るだけだった。 引退してからもバレーボールをしに行って、終わるとまた制作に戻る。隣の音楽棟から歌声やピアノがきこえてきて最高のBGMの中で制作した。 弘前市内の霊場をまわるのも好きだった。 四年になるまで知らなかった場所もたくさんあった。こんな最高の場所でわたしは美術を勉強できてラッキーだった。最近、あまりぱっとしない町だと思っていた柏もかなりおもしろくなってきた。駅から離れるほどおもしろいかもしれない。好寄心にまかせるがままに歩いて行って、道に迷ったり、虫にさされたりしている。 @続、ちょっといっぱいいっぱいです展 井戸敏之(美学校卒) クロダマサユキ(明星大学卒) 竹本真紀(美学校卒) 田島孝通(イメージフォーラム卒) 冨安由真(無所属) 「出立/欠隙presentup/breakvacant」 場所:ひみつギャラリー日時:05.5.17(火)〜6.11(土) 岡本育子(東京芸術大学美術学部油画科在籍) 黒野祐一郎(東京芸術大学美術学部壁画科卒) 設楽玲子(東京芸術大学美術学部先端芸術表現科在籍) (ひみつギャラリーの場所はひみつです。ご来場の方は、himitu-g@jcom.home.ne.jpまでご連絡ください。) 〔ちょっといっぱいいっぱいです展の様子を芸大での展示が終了後、6.11までひみつギャラリーにて同時に特別展示いたします。〕 @東京都西荻窪のニヒル牛で、記憶処理研究所、クライアントの未処理記憶サンプルを100円で販売中! その他、カンバッチ、ポストカードも販売中です! @個展 2005年6月7日(火)〜12日(日) 東川口の 展示即売会という形になります。旧作、額装作品あります。 @個展 2005年6月30日(木)〜7月26日(火) http://www.arcuate.co.jp/arcuate.htm リーバイスのショップでの展示です。 芸大バージョン。 | |
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