週刊「÷3」

TEXT by Maki Takemoto

竹本真紀 profile
1976
青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。

1992
中学校卒業記念イラスト展 (八戸NHK)文化センター

1994
バンド「根城パラダイス」(八戸西高等学校体育館で一度限りのライブ)

1999
国立弘前大学教育学部小学校教員養成課程卒業
美術科卒業制作展(弘前大学学生会館、弘前VIVRE)

2000
ひいらぎ展 (柏高島屋ステーションモール市民ギャラリー)
美学校トンチキアートスクール入校 千葉県柏市在中


青森県立美術館オープン、奈良美智A to Zと今、一心の注目を浴びている青森県から一通の手紙が届いた。
わたしが青森県の東奥日報に取り上げられたことがきっかけで任命された「青い森の特派員」任務終了のお知らせだった。
青森県の財政難より徐々にいろんなことが削減されていったが、最終的には廃止に落ち着いたのだろう。
わたしが任命されたのは前木村知事のときからだが、毎年一度青い森の特派員と知事の情報交換会と懇親会があった
。 わたしは参加した会からせっかくの機会だから何かしら発言しようと思い、青森県の方々から情報収集をし、必ずそれを知事に伝えることにしていた。
初めて参加したとき、偶然隣に日本画家の工藤甲人氏が座った。
「青森県にはいつ美術館ができるのか。」という話だった。
それに続いてわたしも発言した。
実際県が動く前に青森県では市民活動の方が活発になっていた。
大学のゼミの担当教官であり、奈良美智展実行委員長であった岩井先生からこれを知事にわたしてほしいと大量の資料が届いた。
連日ボランティア活動や、時道なお金集めで奈良展を実現しようとしている人々の記事やそれに関する資料である。
奈良美智展は市民一口いくらという形でお金集めをしており、肝心な県や市は全くお金を出す様子がなかった。
実際蓋を開けてみたら青森県では考えられないほどの集客数に後から慌ててお金を出すことになった。
当時知事は青森市、八戸市、弘前市に美術館を作るとおっしゃっていた。
八戸市から着工することになっていた。
現在ではその場所はただの更地になっている。
もと市民病院のあった場所だ。
このことに関しては現三村知事より説明があった。
「とにかく青森県の負債を返していかなければならない。
八戸、弘前の分県立美術館に上乗せしてすごいの作るから、まかせといて!」ということだった。
八戸に美術館ができないのは残念だし、作るべきだと言い続けるつもりだが、三村知事になってからの交通整理はみごとだ。
県庁を企業と考え、営業に努力している。
青森には津軽と南部という全く違う文化があり、三村知事は初めての南部の知事だが、青森全体のことを考えて行動してくれている。
中にはもうちょっと南部よりに考えてくれてもいいんじゃないの?という人がいるくらい、津軽にも気を使っている。
今回の青い森の特派員制度がなくなることもなんとなく予想がついていたし、県民の税金で行われている会だから有効に使わなければ。という考えがわたしに あったので、毎回発言するようにしていた。
この制度自体を疑問視するような発言をしたこともあった。
だから仕方がないな。
という気持ちだが、この青森県が注目されている時期に、美術館ができる前からいろいろと発言してきたわたしが、ぽんと外に投げ出された気もしている。
たまたま今のタイミングだから、すごく非情な気もなきにしもあらず。
県の楽しいお知らせなんかが封入されていて、「これからも応援よろしく。」的な雰囲気があればよいのだけど、「任務終了しました。お疲れ様でした。」と ぶっきらぼうな事務的な紙っぺらが一枚入っていただけだった。

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Live&Morisの個展より


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