週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 | おかげさまでピンクリボンキャンペーンの講演会は120人あまりの会場超満員で成功に終わりました。 これも竹本作品のおかげでしょ。と思いきや講演会中は一言も触れてくださいませんでしたが、かなりインパクトは強かったようです。 今回の依頼者である医学予防協会の方々も喜んでいらっしゃいました。 このとき、評論家の宮田徹也氏がわたしの今回の作品「結ぶということ〜ピンクリボンの場合〜」についてすばらしい評論を書いてくださいました。 このリーフレットがなければ、わたしの作品は単なるイベントに埋没してしまうところでした。 ピンクリボンキャンペーンとは乳ガン早期発見のキャンペーン、40人に一人が乳ガンにかかる現状だそうです。 しかし、早期発見すると小さな傷口ですむらしいし、ほとんどの方が助かるそうです。 だから、普段から自己触診などで気にしてチェックした方がよいそうです。 ピンクと言えば松澤宥氏。 とうとう、松澤宥氏がお亡くなりになりました。 ちょうどピンクリボンを展示しているときに。 しかし、中ザワヒデキ氏から「松澤宥は生きている」というタイトルのメールが届きました。 そうです。予言では2222年まで松澤宥は生きるということでした。 この世を去り、さらに究極のコンセプチュアルアートといっていいのか、量子レベルの表現方法へと進まれたのに違いないのです。 今回のピンクリボン「結ぶということ」は以前わたしが行った観客参加型作品「結ぶといふこと×裁つといふこと」からの発展系です。 たこ糸を結んでいって大きな網になったものをギャラリー内にはりめぐらし、来た方が好きな場所を切ったり、赤いひもを好きなところに結んだりできるとい う作品でした。 わたしは芸術とは何か追求した結果、コンセプチュアルアートに行き着き、オノヨーコのグレープフルーツと松本俊介のたてる像をミックスした作品を作りま した。 現在の立てる像はどこに向って立つのか仮定したのです。 しかしその仮定は現実にないような困った難題のようなものでした。 想像してごらん。(imagine)というわけです。 それから寺山修司とオノヨーコをミックスさせたような作品を作りました。 それの発展が「結ぶといふこと×裁つといふこと」ということでした。 この作品をみて美学校の今泉先生は「松澤宥の家に行かないか。」とおっしゃいました。 わたしは正直いって松澤さんのことはよく知りませんでしたが、「行きたいです。」と言いました。 行く前に勉強しなさい。と、「機関」の松澤宥特集が送られてきました。 わたしは一ページ開いただけでノックアウトされました。 すぐに会いたくなりました。 後に、寺山修司が松澤さんを取材しに美学校へ来たときの記録も送ってくださいました。 松澤さんに会いにいくきっかけとなった作品の発展系がピンクリボンであったのは変なご縁を感じます。 ピンクリボンは今月いっぱい展示中です。 @ピンクリボンキャンペーン「結ぶといふこと〜ピンクリボンの場合」 横浜市中区日本大通り34 ZAIM *中区役所、横浜スタジアムの通りです。 一日限りのリボン飾り付けも担当。 | |
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