週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 | 「松澤さんの死に顔は松澤さんらしい死に顔でした。」と、中ザワヒデキ氏は言いました。 府中美術館で行われている脳波ドローイングのためか、トレードマークのカットを丸刈りにしていました。 実は、小学校のとき「未来の絵をかきなさい。」という課題が出て、頭に何か装置をはめてそこからコードが出ている自画像をかいたことがありました。 絵づらは全く脳波ドローイングと同じですが、わたしが考えたのは「頭で考えたことがそのまま絵になる。」というものでした。 でも、20年前に考えたことが、今では絵づらでも実現するなんて驚きです。 小学校の頃は本当に今よりも増して絵をかくことしか考えてませんでした。 ご飯食べるのと寝る以外はほとんど絵ばかりかいていました。 かいてどうにかしようとかでなく、とにかく絵がかきたくて、かいていました。 いろんなものをそぎおとしてコンセプチュアルアートだとかミニマリズムだとかになるのですが、実はコンセプチュアルアートもミニマリズムも決してシンプ ルではないことに気付きました。 例えば「空より美しいものはない。」と言ってしまったオノヨーコ以上の芸術はもうない。と思いました。 その先で何か作るとしたら自分のリアリティを探っていくより他ならず現在の作品にいたったわけです。 コンセプチュアルアートのバックには多大な理論や経験がついています。 よってシンプルではないのです。 「人目を気にする前の段階の子供の絵はすばらしい。」と言った岡本太郎の作品でさえ洗練されています。 完全にリラックスしてフリーな状態で作品が作れる状態が究めてシンプルなのではないかと思います。 それを考えるとアウトサイダーアートがかなりそれに近いのです。 しかし、いろんな理論や知識が身に付いてしまった今、全くのフリーになることは無理です。 やはりそんなこんなで、現在における自分の状態、経験値、などに出来る限り忠実であることがシンプルなのではないでしょうか。 小学生の頃絵をかくことしか考えていなくて、「絵をかきなさい。」と言われて絵の中でも絵をかいている自分をかいてしまったわけです。 その頃は評価や美術史の中での位置づけや、お金にしていくことなど全く考えていませんでした。 自分はずっと絵をかいていくんだということしかわかっていませんでした。 わたしはその頃の状態に戻ってみようと思いました。 | |
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