週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 | 急にぬいぐるみを作らなければいけなくなって、四苦八苦していました。 完成型にするにはどのように型紙を切ったらよいのかで悩みました。 急な発注だったのと風邪で寝込んでいたのとで、間に合うのか?という感じでした。 でもなんとかなる。なんとかなると考えながらも思い通りの形にならなかったりで何度も型紙を作りなおしました。 アトリエの隣の山野真悟事務所ではトリエンナーレでぬいぐるみを縫い続けていた安部泰輔さんが展覧会をしていて常時滞在してぬいぐるみを縫い続けています。 ぬいぐるみは趣味のようにならないようにしてください。という微妙な支持があって、(ぬいぐるみって趣味と作品の線引きが難しいですよね。)安部さんは作品としてぬいぐるみ作っているし、作品がぺたっとしたぬいぐるみなので、ちょっと違うのかな、、、。)と思って相談はしたものの、作り方などまではききませんでした。 ある日ログスギャラリーと天野太郎さんのトークの打ち上げが隣の部屋でありました。 トリエンナーレの鍋担当井関さん作成の蟹鍋パーティでした。 いろんなメンバーが来ていてかなり濃い会になっていましたが、わたしは机の上でずっと悩みっぱなしで鍋の輪には入らず、ぬいぐるみの型を考えていたわけです。 それでも隣から蟹鍋の差し入れが来たり、わたしに話をしにくる人がいたりしていました。 原万希子さんに「ぬいぐるみだったらちょうど隣にいるじゃない。」と言われましたが、安部さんは作品として作っているからな、、、。とまた考えこんでいたわけなのでした。 次の日もアトリエで悩んでいるわたしを見るに見兼ねて、安部さんが「どれ、かしてみい。ちゃんとその形になるかその型紙で別の布でためしちゃる。」と言って試し縫いをしてくれました。 「ミシンで縫ったらはやいだろ」と、2台あるうちの1台のミシンを貸してくれて、なんとなく形があっという間にできました。 もう片方の隣で油絵を描いていた村田真さんが二人ならんでミシンを使っているのを見て「デュエットだ。」などと言ってました。 「竹本もぬいぐるみ作家としてデビューするらしい。」と、安部さんはその場で村田さんに言ってましたが、本当にこのタイミングで隣に安部さんがいるとは、なんてついているんでしょう。 それから安部さんは作品の雰囲気とは違って、やはりちゃんとしたぬいぐるみを作ることもできるんだな。と思いました。基礎がきちんとできている人なのね。 安部さんはもともとは土方巽のアスベスト館で舞踏をやっていたそうです。 それが今ではぬいぐるみを縫い続けています。 もう舞踏はやらないそうです。 ミシンを縫っている自分の体作品と一体化している究極のパフォーマンスの状態だから。と言ってました。 会期中安部さんとはいろいろ話しをしました。 トリエンナーレの頃からずっと話してるのはアートをお金にしていくという話。 山野さんのこと。地方と中央のアートのことなどなど。 そんな安部さんはこの展覧会が終わったら地元の大分に帰って入籍するらしい。おめでとう!! | |
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