週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 | 今月の竹本真紀と○○展はわたしの親友で漫画家の凪裕矢にスポットを当てたいと思う。 凪裕矢と会ったというか目撃したのは、中学に入ってからだっただろうか。 わたしが小学校5年生のとき初めて八戸で「八戸コミックマーケット」が行われた。通称「のへケット」とか言われていたと思う。 1月2日のめでたい時期に地元紙の「デーリー東北新聞社」で行われた。 デーリー東北には毎週火曜日「ヤングポスト」というコーナーがあって、そこにみんなイラストや詞を投稿していた。 お正月のデーリー東北のヤングポスト拡大版で初めてコミケが開かれるということで、大特集されていた。 まだ「おたく」という言葉も出ていなかった頃で、比較的ふつーの女の子でマンガ好きといった人たちがやっていたように思う。 わたしは多分小学校低学年の頃から「有名な漫画家になる。」と決めていたので、マンガに対する情熱がすごかった。 しかしながら中々周りにそういうことをしている人がいないというか、八戸ではそういったイベントが行われていなかったので、この記事はかなり衝撃的に目に入った。 早速見に行って、すごく影響を受けた。 表紙が美しくて買った同人誌がやおいだったのはちょっと子供ながらにショックだったが、(しかも中身は絵がへたくそだった。) 自分も同人誌を作ることにした。 周りは高校生や大人の人が多くて、小学生はわたしくらいだったように思う。 コスプレしている人もぽつぽついたかもしれない。 仮面ライダーのおにいさんがいたのは覚えている。 中学に入ってからのコミケで、すごく斬新なコスプレをしていた人がいた。 「秋山とよひろ」と「その妻」である。 当時初めて日本で宇宙に行った人である。 だた、冬物のコートにモスクワ人がかぶるようなふさふさの帽子をかぶって胸に「秋山とよひろ」「その妻」とかいてあった。 かなり目をひきつけられたが、その人がどんなマンガを出していたのか全く覚えていない。 大人っぽく見えたので結構年上だと思っていた。 すると、ある日別なクラスに転校生が来た。 コミケに一緒に行っていた、すみちゃんが、「あの人秋山さんじゃない?」と言ってきた。 制服と秋山さんのコスチュームのイメージが全く違っていたので、「違うんじゃない?」と。 しかし、階段の踊場でばったり会って、すみちゃんが、「あの、、秋山さんですよね。」と声をかけた。 すると彼女はコミケによくいる変なテンションの人みたいに高い声で「そうです〜。」みたいなことを言ったと思う。 その後すみちゃんが「秋山さん」に手紙をかいたと思う。 それで、クラスは別だけど、三人でよく行動する機会が増えたのだと思う。 後に三人で「根城パラダイス」というバンドを組むことになる。 根城とはわたしたちが通っていた中学の名前だが、中学の周辺をぶらぶらしていたら、「根城パラダイス」という居酒屋を見つけたからだ。 「ヤング荘」みたいなものかな。 中学からずっとお互い影響しあって、高校卒業してばらばらになってしまったが、大学の寮に泊まりにきたこともあった。 気がついたら東京に出ていて、本気でマンガ家を目指していた。 彼女はマンガをかいているということは中学でも高校でも周囲に内緒にしていた。 わたしは公にしていたし、小さい頃からマンガ家を目指していたので、みんな知っていることで、隠しようもなかった。 ただ、「おたく」という言葉がはやることで、わたしもその部類に位置づけられ、中学の中ではそういってわたしを嫌煙する人もいたことは確かだ。 なので、「周囲に隠す。」というのは周囲の人間とうまくやる手段でもあったかもしれない。 わたしは「わたしがやっていればどんなことでも変に思われない。」という根拠のない自信があった。 自分がやっていることに自分なりの哲学と必然性があってやっているから後ろめたさもなにもなかった。 といっても彼女がなんで隠していたのかはわからない。 彼女とはわたしが青森を出てからもよく会った。 根城パラダイスをやりたがっていた。 本格的にボイストレーニングやベースを習いにいっていた。 わたしも勿論乗り気だったが、自分のそのときのタイミングなどで、彼女を裏切る形になってしまったかもしれない。 土佐正道氏とパフォーマンスしたときも、なんでわたしとやらないの!!とひどく憤慨していた。 根城パラダイスの夢はどんどん広がっていた。 でも、それは叶わぬ夢になってしまった。 彼女にもう会えないことを知ったのは、ネット上ですみちゃんが見つけて連絡をくれたからだ。 ひどい冗談だと思って電話したら彼女の彼が出た。 信じたくない現実が現実になった瞬間だった。 わたしはまだ信じられずにいる。 彼女に会えなくなってからしばらく経ったが、彼女のすごい才能をわたしは表に出そうとしている。 竹本真紀と○○展は、他者をリスペクトするだけでなく、それによって竹本真紀が何をしてきて何を思ってきて何を表現したいのかを再確認する場でもある。 彼女がいない。というのは今でも信じられない。が、彼女の作品は単なる同人誌とか、マンガではくくりきれない気がする。 読むとあんまり意味がわからない気もするし、絵もそんなにめちゃめちゃうまい!という気はしないが、わたしは彼女がいるからマンガ家の道はあきらめた。 商業誌のために自分のスタイルを変えていく彼女をみているのはあまりおもしろくなかったが、そして彼女自身がそれに押し潰されてしまったのかもしれないが、凪裕矢節みたいなのは、何をかいても表面に出てくる。 彼女が納得する形ではわたしは表に出せないかと思うが、竹本真紀と○○展ということによって、竹本真紀の視点で出すことを許してほしいと思う。 @ちぇるる野毛http://cherurunoge.com/map.htm 次々別のアーティストでペインティングしていく予定です。 とりあえず、竹本からスタート!! 次は村田真さんです!! @「竹本真紀と凪裕矢」展 4月28日(土)〜30日(月)ZAIM本館403 MA 11:00〜20:00 ゲストアーティスト 三浦謙樹 http://za-im.jp/ @竹本真紀ブログ記憶処理研究所ちょっと整理しました。 こちらも合わせてご利用ください。 http://makimo.cocolog-nifty.com/ | |
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