週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 | 実家に帰省してきました。 高齢の祖母がいるため、休みがとれたらなるべく帰るようにしています。 正月に帰ったばかりなのですが、青森のGWはちょうどお花見と重なっていて、行楽日和といった感じです。 帰ったら父親が懸賞でレミパンをあててました。 友達が今日しかあいてない。ということで、急遽到着してすぐに街へ出ました。 友達も日中は働いていてお疲れの様子でした。 しかし、あやしいお店にちょっと入ってみよう。ということになって、以前気になっていたお店に入りました。 メニューに「忍者あげ」「UFOあげ」「赤ずきんちゃんあげ」などあって、食べ物が出てくるまで何が出てくるかわかりません。 とりあえず、「忍者あげ」を頼みました。 すると、小さい傘がついた器にのりが巻いたもちにエビが巻いてある揚げ物が出てきました。 おお!と思って写真を撮ると、厚化粧の女将さんが「今、何を撮りました?」と近くに来ました。 「料理を撮りました。」と言うと、「なら、いいです。メニューだったら困っちゃうけど。変なのに使わなければよいです。」 とのこと。 「変なのってなんですか?」ときいたら、「ネットとか、、、。」と、言うのです。 「メニューがおもしろいからって撮る人がいるんです。」 おもしろくって、知名度があがったら困るのかな?変なの。 わたしは個展でも「撮っていいですよ。」といいます。 「撮りたい。」と、思ってくださるのだからうれしいことではないですか。 しかも、ブログにまで載せていただいた日にはさらに多くの方に見てもらえるではないですか。 ただ、最近いろいろなものに使われ始めているので、きちんとお金をもらうべきでは?というご指摘はうけるのですが、、、。 まあ、こちらのお店の方が嫌ならばしょうがない。 一応、美術をやっているものだと名刺を渡したら、「いや〜あたしも好きなのよ。メニューも全部わたしがパソコンで作っているの。」 なんて「握手、握手。」なんて言ってたけれど、メニューこれって、スナフキンに似てるけど、、、。このマンガってどっからとったの? みたいな、著作権どうなってんの?無断使用かよ!みたいなつっこみ所満載だったわけで、、、。 まあ、このお店にはもう来ないでしょう。 おいしかったけどね。 お店でついてたTVに東京プリンが出ていて、「あれ?東京プリンってまだいたんだ。」 というと、隣のおじさんが「左の方が青森出身なんだよ。」と教えてくれました。 近くの映画館で一人で「夢十夜」をみていた友達も映画が終わったので合流。 絵を置かせてもらっているバー、GRASSMOONのマスターから「GWは帰らないのですか?」というメールが来たので、行ってみることにしました。 「お客さんにふきだしの中には何か入るの?」とよく言われると言っていました。 バーを出て、明日もあるからもう、帰ろうということになり、別れを惜しんでいると、いきなり友達が「苺だ。」と指をさしました。 すると路地からピンクの全身タイツを着て頭に苺のかぶりものをした人(胸にはネクタイと普通の革靴)とグラサンをかけた黒タイツに黒ネクタイの人が歩いてきました。 こちらがききたいのに、「何やってるの?」と言われました。「飲みにいこうよ。」と言われたのですが、「もう帰るので、、。」と断ると、残念そうに街に消えていきました。 なんだったんだろう。ツボに入ってしまいました。 翌日はなぎゆうやのお墓に展覧会が終わったことを報告しにいきました。 目の前の山できじ狩りの銃声が鳴っていました。 彼女のお墓の近くに住んでいた彼女のお婆さんも亡くなってもういないということでした。 そのあと、友達二人と赤ん坊一人とで、ドライブにでかけました。 海岸に行き、海を眺めたりしました。 途中で、巨大なセメント工場を見つけて、感動しました。 新しい家や、新しい道路がたくさんできていました。 翌日は家の掃除をして、夜は母親と弟が働く回転寿司屋に食事に行きました。 弟は店の中でもかなり上の方らしく、バリバリ働いていました。 サービスしてくれました。 母がどこか行きたいところない?というので、また、海に行きました。 漁港に行って、停泊している漁船を見ました。 うみねこの繁殖地の蕪島にも行きました。 夜なのでよく見えませんでしたが、うみねこが相変わらずたくさんいました。 八戸の端と端になりますが、自分の出身高校の周辺が変わっているというので、見にいきました。 確かに、田んぼに囲まれていた高校は新築の家に囲まれていました。 わたしの出身校には代々、田んぼを横断すると短距離で駅に行けることから(本当はしてはいけない。)「田んぼる。」という言葉がありましたが、田んぼれなくなったというわけです。 螢もいたのに、いなくなったでしょう。 翌日、祖母をデイケアの人が迎えに来ました。 もう、わたしは帰ることになっていたので、今回はここが、祖母との別れでした。 たまに帰ったときくらい、手を添えたり、靴を出してあげたりしたかったのですが、わたしが横にいるのにヘルパーさんがてきぱきとすべてやってしまいました。 「わたしの方がわかっているのよ。」という感じで。 まあ、普段一緒にいないから仕方がない。 わたしは祖母がどの靴をはいて出かけるのかもわからなかったし。 ただ、祖母もわたしがいるからわたしにやってもらいたかった風で、そんなに支えなくてもうちのおばあちゃん歩けるよってくらい支えられた手を振払っておばあちゃんは「別れを惜しんでるのよ。」と手を振ってくれました。 ヘルパーさんのとても事務的な作業に、同じ職場である母親に文句をつけてしまいましたが、職場にもお客様にも評判のよい方らしくて、まあ、仕事だから仕方がないな。と、思うことにしました。 青森美術館に行ってきて。という声もありましたが、いつも見ている美術をあえて見にいくこともないと思い、(八戸からは遠いこともありますが)、八戸にしかない風景を堪能しました。 以前は新しいものをどんどん取り入れるうすっぺらい印象がありましたが、八戸の良さを全面に出したお店や街並が増えたように思いました。 GRASSMOONのマスターにも「ぜひ、八戸でも何かやってください。」と言われましたが、自分ひとりだけでは無理ですね。 八戸の方の協力がないと。 こちらが、何か協力しようとすると逆につっぱねてしまう性質もありますから、まだ、何かやるタイミングではありませんが、なんかできるとは思います。 知事に何度か提言しましたが、青森に美術館があるからそれで我慢してくれ、という結果だったと思います。 でも、距離もあるし、文化も違うのだから、八戸は八戸のアートセンターがやはり、ほしいものです。 家族のことも含めて、いろんな意味で決意を新たに八戸を後にしたのでした。 @ちぇるる野毛http://cherurunoge.com/map.htm 壁画制作と展示しています。 村田真さんもかいてます。 @竹本真紀ブログ記憶処理研究所ちょっと整理しました。 こちらも合わせてご利用ください。 http://makimo.cocolog-nifty.com/ @ニヒル牛にグッズおいてます http://members3.jcom.home.ne.jp/nihirugyu1/kaisou2/nihirutoha.html | |
N-mark.com Copyright 2000.N-mark.com,All rights reserved. |