週刊「÷3」

TEXT by Maki Takemoto

竹本真紀 profile
1976
青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。

1992
中学校卒業記念イラスト展 (八戸NHK)文化センター

1994
バンド「根城パラダイス」(八戸西高等学校体育館で一度限りのライブ)

1999
国立弘前大学教育学部小学校教員養成課程卒業
美術科卒業制作展(弘前大学学生会館、弘前VIVRE)

2000
ひいらぎ展 (柏高島屋ステーションモール市民ギャラリー)
美学校トンチキアートスクール入校 千葉県柏市在中


NHKで放送していた松本仁志のドキュメント番組をみました。
いつものTVのまっちゃんではなく、まじめに話をしていました。
TVではとてもリラックスしているように思えますが、常に自分を追い込み、戦っていることがわかりました。
売れて楽な状態に自分を置くことが嫌だとか。
人よりお金をたくさんもらっているので、余計に頑張らなくては。などと、話していました。
それは、幼い頃の貧しい生活からの経験もあるのでしょうか。
お金に限らず貧しい経験というのは、ちょっとしたことでも感謝できる状態になります。
そして、「サービス精神がなければだめ。」と言っていました。
以前から松本仁志のアーティスト性は評価されていましたが、まじめに話すまっちゃんの言葉は、日頃自分が思っていることにかなり通ずる部分がありました。
「アイディアがでない不安がない。」と言っていました。
なんだか知らないけれど出てくるんだと。
これは、わたしも一緒です。
アイディアが出ないことはないんです。
急に難題を振られて、厳しい条件下で展示しなければならないときも、すっごく考えますが、土壇場になったら気が晴れたようにアートの神様がおりてくるのです。
ただ、頭から出てはくるけれど、それに自分の手や体がおいつかないのです。
かきとめることももちろんあります。
かきながら整理していってまとめていく場合もあります。
でも、ほとんど、かきとめません。
かく場合は頭を整理するときだけです。
何をかこうかな。と思っていると、画面に線が出てきます。
ここに線をひいてくれ、ここを塗りつぶしてくれ。と、画面が言ってきます。
それがなんなのかわかりません。
趣味でやってるくらいのリラックスした状態も必要だけれど、自分の色を出しつつ、ニーズにそった作品を作ることが、やはり、趣味との違いなのだと思いました。
わたしは美術館で施工のアルバイトのたびに、出る、インスタレーションのゴミの山にはうんざりしました。
絵画もごみと判断されればゴミかもしれませんが、とりあえずは人から人の手にわたり、財産として、インテリアとして残っていきます。
しかし、一度きりのインスタレーションで出る大量のゴミは何か無駄なものに思えてならなかったのです。
一個一個がきちんとしていて、それを撤去してまた別の場所で巡回して見せていくとか、もう、ゴミで捨てるものに命を一度ふき返す意味での作品ならばよいです。
だから、わたしは、大量のゴミが出るようなインスタレーションはしないようにしようと思っています。
もちろん、そんなことを関係なく、こんなもの作ってみたいなあ。というのはあります。
しかし、作る行程的にも違和感があって、結局シンプルなものになってしまうのでした。
たまに物珍しいもの作ってみようかなと思っても、自分は自分の色を出すしかないんだと、そこに落ち着きます。
しかし、その自分の色というものが、知らず知らずのうちに散漫になってしまっていて、わからなくなってしまうときもありますが、最後には「やっぱりこれだな、、、。」と、しっくり行くところがあるものです。

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