週刊「÷3」 TEXT by Maki Takemoto 竹本真紀 profile1976 青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。 1992 1994 1999 2000 | 居心地がよくなってきたら仕事のやめ時かも。 と、トータル的にみてそう、思った。 最初はできなかったり、人間関係、信頼関係を作っていくのも大変だったりだが、ある程度いろんなことがクリアになったら今までのことがうそみたいに好転してくる。 その好転が始まってくると、先が見えてくる。 そしたら、もう、つまらなくなる。 報酬も少ないと感じてくる。 しかし、居心地がよい場所を離れるということは苦渋の決断でもある。 楽しい仲間たちとももう、会えなくなる。 迷うけど、自然と次へ行かなければならない必然的なことが起こる。 自分の本来の目的は何か。流されてそこから離れてはならない。 横浜市の東横線桜木町駅跡地のスペースで働くことが決まり、今までやっていた仕事をやめることになった。 どんな仕事でも一度、どうしてもやめたいというときが来る。 しかし、すぐにやめることができないので、とりあえず自分を良い方にだまして仕事を続けるのだが、いつもその続けた先に予想もしないハッピーな結果が待っていることが多い。 しかし、その組織で認められて評価されるということは、間違いなく責任も出てくるし、もっと要求されてくる。 本業があるわたしはどうしてもそこまで責任をおうことができない。 だからわたしがこの場で、できることはもう、達成されたということになる。 この信頼されて、必要とされている状態に甘えさせてもらって、たまには働こうとも思っていたが、その甘えは新しい仕事の集中力、リズムを壊すことにもなり兼ねないと思った。 だいたい、やめたいと思ってやめることが多いのだが、こんなに後ろ髪をひかれることも始めてだ。 しかし、何かを選んだら何かを捨てなくてはならない。 なんでもかんでもほしがって、目標を達成することなんてできないと思う。 ここで流されたらまた無駄なときをすごしてしまう。 やめることになった仕事は建築関係の仕事だが、あるとき現場で別の同業種の方と、やりとりしながら仕事することがあった。 女の子二人で来ていたのだが、どうも、一人、会ったことがある気がして仕方がなかった。 絶対思い出そうとして、頭をしぼった。 そこかで施工、手伝いに来てたのかな。横トリのサポーターだったかな。絶対アート関係な気がする、、、。 と、思い出した瞬間、自分でもびっくり。 まあ、まあ、美術業界でも名の知れた人物だった。 年はわたしとそんなに変わらなかったと思う。 美術のときはほとんどコスプレ状態なので、普段のものすごく普通でボーイッシュな彼女に誰も気付くことはなにのかもしれないが、わたしは昔彼女の施工を手伝ったことがあったので、素の顔を知っていた。 話しかけようかな、どうしようかな、でも、こんなシチュエーションだしな。なんて思いながら、どうせ美術関係狭いからどっかでまた会うよ。そのとき話そ。と思った。 次の日現場びは若いおんなのこでなく、おっさん二人が来た。 おっさんはとてもきさくだったので、ちょっときいてみた。 「昨日、来てた人、昔会ったことあるんですよね、、、。」 「どこの現場で?」 「いや、別の場所で。あの人実は有名な人ですよね、、。」 と、もう一人のおっさんが、「彼女、業界では有名なんだって○○君言ってたよ。」 と言った。 職場ではあまり自分が何してるとか話してないみたい。 でもおっさんは彼女の仕事場での頑張りっぷりをすごく楽しそうに話してくれた。 いや〜、彼女は根性あるよ。と。 施工のときもすごく腰がひくかったのを覚えている。 特に働く必要性もないのに、親に働けと言われて働いてるみたいだよ。とも話していた。 そんなにいろいろ話していいのかい?と思ったけど。 でも、結構注目されているのに、頑張っているんだな〜。と思って励まされた。 でも、わたしはこの仕事はやめる。 前に進むのみ。 @竹本真紀ブログ記憶処理研究所ちょっと整理しました。 こちらも合わせてご利用ください。 http://makimo.cocolog-nifty.com/ @ニヒル牛にグッズおいてます 夏の新製品Tシャツを販売しています。 http://members3.jcom.home.ne.jp/nihirugyu1/kaisou2/nihirutoha.html @竹本真紀インタビューが放映されています。 http://www.tvk-bb.tv/art-channel/artistfile/2007/06/post_7.html | |
N-mark.com Copyright 2000.N-mark.com,All rights reserved. |