「ニューデリー便り」
jan./feb./mar./apr.

TEXT by Mitsuhiro Okamoto


作品:W#62「ドザえもん in 善知鳥神社」

岡本光博 profile
1968年/京都府生まれ
1994年/滋賀大学大学院教育学修了
1994〜96年/ニューヨークに滞在、制作
1997〜99年5月/CCA北九州にて、研究、制作
個展
1990年/「無きにしも有らずんばやむを得ず」
     ギャラリー射手座(京都)
1991年/「人面譜」
     アート・オブ・トリコロール(大阪)
1992年/「FACE YOU ! 」
     ヴォイス・ギャラリー(京都)
1993年/「有題」
     秋山画廊(東京)
1994年/「十年再現」
     地蔵院・千本ゑんま堂(京都)
1996年/「FUJIYAMA GEISHA series」
     京都市四条ギャラリー
     「多元的文化主義の肖像」
     CITY GALLERY I.M(大阪)
1997年/「HINOMARA」
     ギャラリーココ(京都)
     「Goshinei」
     ストリートギャラリー(神戸)
     「Japanese Minimal Painting」
     ストリートギャラリー(神戸)
1998年/「日本画」
     MOMAコンテンポラリー(福岡)
     「Fenochio !」
     ギャラリーココ(京都)
1999年/「Mirror/Painting 1991-1999」
     MOMAコンテンポラリー(福岡)
     「Sports/Sex/Screen」
     複眼ギャラリー(大阪)
その他グループ展、舞台美術など多数に参加




上記3点
岡本光博展
「Myself / Mandara / Maltiple」
2000年12月12日(火)〜24日(日)
ギャラリーそわか/より


Jan31new!(2/25更新)
@ ケイト(アイルランドの作家)、ステファーノ(イタリアの画家)、サイーダ(トルコの写真家)とクラフト・ミュージアムへ行く。屋外には舞踊パフォーマンスやインド国内の様々な州の職人が、実演を兼ねて商売している。大阪駅の各県のインスタント土産屋の雰囲気が少し入っている。プラスチックなどの量産品に日常消費品としての位置を奪われ、あくまでも土産品としての物ではあるが、十分にオリジナリティが有る。館内には膨大な量の工芸品が展示されている。膨大過ぎて、ここでもインド的なる特徴はつかめない。混沌としかいいようが無い。ただアラビア的なるものや日本や韓国などの東アジア的なるものとは明らかに違うし、その中間的な感じでもない。後2ヶ月でどこまで探りを入れられるだろうか。
@ 町に出るたび思うのだが、牛、豚、羊、猪、鶏などが好き放題に散歩しているのはいいとして、何故か犬だけはいつ見てもほとんどが、死んだようにグッタリ寝ている。動物に優しいインド人のお陰で、警戒心と緊張感を失なうと、ここまでヘロヘロになるものなのだろうか。
@ せまい路地に限って、デカイ牛がいたりする。観察していて気がついたのだが、バイクのクラクションなどには人よりも早く反応し、サッと道を開ける。幾度となく、無謀なインド人ドライバーに痛い目にあわされたのだろう。そして時々、牛からじーっと見られる事がある。インド人からこいつ日本人やという感じで、じーっと見られる事がよくあるが、インド牛もそう思っているのかもしれないなとふと思った。
Jan29new!(2/25更新)
@ 散髪屋に行く。外国の散髪屋はニューヨークに暮らしていた時以来である。ただ、突然、首をひねる整体をされ、ゴキゴキという爆音とともにガンガー行きになりそうだった。少し希望とは違うのだがヒンズー語で説明できないので、ドツボコースにはまる前に諦める。30分ぐらいだろうか、技術的なものは日本と変わらないのに、たった15ルピー(45円)である。ほんま人件費はどないなっとるのだろう。観光客が利用しないものにはダブル・スタンダードはない。
@ 蓮の華の形をした超巨大な建造物である、ロータス・テンプルに行く。古代遺跡マニアでもあるが、アートな近現代建築も見れるだけみたいと思う。今突然、地球が砂の中に埋まってしまって、何千年も後の人類が驚くようなものを一つでも多く。
Jan27new!(2/25更新)
@ 「Vasnt」というここのアートセンターの割と大規模な1dayプログラム。芸術家はスライドプレゼンとオープンスタジオ、作家はポエトリィ・リーディングそして、でかい庭でカクテルパーティ。スライドプレゼンは日本から2週間前に送ってもらったスライドが届かず、あえなく辞退。そしてスタジオのインスタレーション作品も壊れてしまい残骸を見せ、内容を口頭で説明する事態。最高の環境を提供され、作家は表現で答える。その責任をきっちりと果たせず、反省である。
@ 実験中に転落事故して残骸となった作品は「blessing」というタイトルで、作品は天井から吊るされた、高速回転するおもちゃのヘリからヒンズーの色粉をばら撒くもので、見た目にはとても美しい。けれども実は色粉が有毒なのがミソである。
@ 残骸とは別にノートPC上で、構想中の絵画を見せる。ヒンズーの神とアメコミ的要素を内包したもので、冒涜的内容に取れなくも無いのだが、ほぼ見せた人全員から笑いを取り、絵画化に踏み切る。
@ アジ美のオープニングの展覧会に出品したという、Subodh+Bhartiがスタジオに来てくれた。滞在中に彼らのスタジオを訪ねる約束をした。
Jan27new!(2/25更新)
@ グジャラート州で大地震があった事を知る。その時は列車の中にいたので、常に震度2状態であり、地震も糞もなかった。先週こちらで、富士山が振動しているというニュースが流れ、阪神淡路大震災の時も海外にいたなーと思った矢先だった。遠くの富士山調べてる場合ちゃううんちゃうのホンマに。言って悪いが、この首都のデリーでさえ危機管理体制なんて皆無である。路地裏の建物など、相撲取りが四股踏んだぐらいで壊れそうである。実際壊れたままになっているのもあるし。
Jan27new!(2/25更新)
@ グジャラート州で大地震があった事を知る。その時は列車の中にいたので、常に震度2状態であり、地震も糞もなかった。先週こちらで、富士山が振動しているというニュースが流れ、阪神淡路大震災の時も海外にいたなーと思った矢先だった。遠くの富士山調べてる場合ちゃううんちゃうのホンマに。言って悪いが、この首都のデリーでさえ危機管理体制なんて皆無である。路地裏の建物など、相撲取りが四股踏んだぐらいで壊れそうである。実際壊れたままになっているのもあるし。
Jan25new!(2/25更新)
@ 駅に掲示板など無く、直前の聞き取れないアナウンスのみで、インド人でさえわからない。質問所にはモノスゴイ人だかりで、おしくら饅頭の中、力のある者だけが質問できるという状況である。以前にも無秩序なケースに出くわした時、「これがインドだ」と私に自虐的にインド人は言うが、やっぱ変えるところは変えなきゃと思う。
Jan24new!(2/25更新)
@ 教徒以外は寺院に入れない事が多く、入れてもほぼ靴は脱がねばならず、足は真っ黒になる。ヒンズーのトゥルシー・マーナス寺院もその例だった。ただ普通ではないのは敷地内にカラクリ人形屋敷があった。「ラーマナーヤ」のいくつかの場面を再現しているのであるが、ただでさえ人形の色彩がドギツイのに、「どこを」「どれくらいの角度で」「どれくらいのスピードで」動かすかという、極めて基本的問題がクリアされておらず、凄まじくファンキーなオブジェ群であった。歯止めの効かない高速回転で腕が回り、振り子太鼓が打ち込みレベルの小刻みなビートを刻んでいるのも凄いが、ここではむしろ、動く必然性の全く無い、例えば主人公でさえ微動だにしないのに、場面の後ろの方の人物の手だけがコネコネしていたり、牛の首だけがプルプルと痙攣していたりと微妙な動きが素晴らしい。作ろうと思って作れるものではない。経年変化のなせる妙技であった。
@ ホテルにてインドのTVをみる。全てで50チャンネルほどあり、映画、ニュース、MTV、ドラマで、ほとんどを占める。言語の多さに加え、アメリカナイゼーションと元イギリスの植民地という現在のインドを象徴するバランスである。
Jan23new!(2/25更新)
@ ネパール行きを突然企てるが、バスが無く断念し、世界最大規模の祭りマハクンバの行われているアラーハバードへ行く。この祭場に着く1kmほど前からすでに祭り特有のエネルギシュなざわめきが聞こえ出す。7千万人の巡礼者が訪れ、1200ヘクタールにも及ぶこの祭場はどこを見ても人と出店と巡礼者のテントが広がる。でかすぎる祭りというのも不思議なもので、日常風景に見えてしまう。
@ 行きも帰りもバスがエンコし、臨時のジープに17人詰め込まれる。わたしでさえ半尻外に出しているのに、私より外側の2人は全身を車の外に出し、出っ張りを握っているだけである。このギネス記録状態の中、ドライバーはお構い無しにめっちゃ飛ばすし。本当しゃれならん。
Jan22
@ 朝4時半に起き、朝日に祈りながら沐浴する人をボートから見る。気温が相当低く、皆気合をいれてからガンガーに入る。さながら寒水ガマン大会の様相を呈している。罪や汚れが相当溜まっているであろう年配の人ばかりで、たれ乳のオンパレードは頂けない。日本人が頭まで浸かると9割の確立で何らかの病が発病するという、このガンガーで心臓発作覚悟で身を清めさせる宗教の力とは何なのだろう。
@ ガンガー上流の火葬場へ行く。3個所で次々に焼いていき、定められた量の薪が終了するとその時点で、ガンガーへ流される。どれも中途半端な丸焦げで終わる。しかも火が均一に当たらないのだろう、足の指だけレアである。自殺者と子供は焼かずに流されるとのことだが、見ている間はリアルどざえモン一体も無し。
@ 仏教4大聖地の一つサルナートにバスで向かう途中、この往路のバスが事故っており、大渋滞。衝突の衝撃でフロントガラスを突き破り、頭から地面にたたきつけられたのだろう。道路にはピンク色の豆腐をグチャグチャにしたような脳味噌と血を撒き散らした女性が大の字で横たわっている。車線無視どころか、逆走が平然と行われるこの無秩序な交通事情ではいつ災難が自分に降掛かってくるか分からない。火葬場で千度死体を見た後だというのに、妙に印象に残る死体であった。
Jan21
@ ここにはアジア各国の寺があり、建築様式や仏陀像の捉えかたの違いなどが比較できて中々面白い。ブータン寺の内部は天井まですべて極彩色のレリーフ状彫刻で装飾されており、立体曼荼羅とはこのことをいうのだと思わされる。中国寺もテクノ調ミニマルポップな装飾で、他の寺とは一線を画していた。それに比べて日本の寺は遠目から見ても宮大工の仕事ではなくボリウッドのスタッフの仕事かと思うほどチープで、さらに大仏ありーの五重塔みたいな塔ありーのと、かなりとばしており、日本の寺特有の美しさは微塵もないが、エキゾ的ポイントは高く、個人的にお気にである。
@ 日本人などほとんど会わないのに、街には右利きの人があえて左手で書いたような日本語が散乱している。おそらく、色々な宗教団体がツアーを組んで来るのだろう。何軒かのレストランも日本料理を出している。「TAMAGO DON」を試すが、強烈なインディピクルスが全体の味を混乱へと陥れてしまっていた。やってもうたと思ってもほとんどが30リラ(90円)以下なのがウレシイ。教育の意味を込めて敢えて一口だけ食って残す。
@ ヒンズー教の最重要聖地ヴァラナシ(ベナレス)へ向かうが、乗合タクシーが行き先を多数決で変更したり、列車には16キロも南の駅に降ろされたり、ボラレ覚悟の怪しいリキシャに乗ると、そのリキシャと裏でつながるホテルに強引に連れて行かれたりと、様々なアクシデントに遭遇しつつ、なんとか日もくれた夜七時に予約先のホテルに着く。強引に連れていかれたホテルの方が清潔で新しく、さらに安い事を後で知る。ここでは判断するのは自分の眼だけであり、頭ごなしに判断してはいけないことを分かっているのだが、やはり怪しいという思いを持ってしまうとつい避けてしまう。
@ ガンガー(ガンジス川)を眺めながらゆっくりチャイでも飲んで過ごそうと思い、ガートに腰をかけるやいなや、乞食やボート屋やカード売りや両替屋や不良インド人などが次々に攻撃してくる。連打で撃破するも最後には脅し文句を言って去って行く奴も現れ、気分を害し、ホテルに戻る。日本人=カモというイメージがあるのだろう。幸い韓国系に見えるらしく、モロ日本人に見られる人より、言い寄られる確立はこれでも低いのだろう。
Jan20
@ ニューデリー出発から16時間後にガヤに着き、そこから40分間オートリキシャに乗り、仏教4大聖地のなかでも最も重要な聖地とされるボードガヤ(ブッダガヤ)に着く。どうせなら宿坊に泊まろうと思い、大乗教寺を訪ねるが満室とのこと。もう一つの日本の寺である印度日本寺は以前西洋人観光客にメチャメチャにされたらしく、泊まる事は出来ない。隣のチベット寺を訪ねると、泊めてくれたが部屋には23匹の蚊がいた。こちらの蚊は病原菌を移すとんでもない奴等である。日本の蚊と違って手で挟まれて殺されるというデータがDNAに組み込まれていないのか、簡単に殺せるが12匹殺した時点ですでに自分の手には本当の意味での返り血を浴びてしまい、やはり全滅は不可と判断し、日本と同じ蚊取り線香を買う。
@ 町は小さく、仏陀が悟りを得た地に建つマハーボーディ寺院と各国の寺を見ると観光ルートは終了してしまい、何のあても無く仏陀が苦行の果てに死にかけた時、助けられたというセーヌ村の方向へ橋を渡ってひたすら歩いてみた。1時間程歩いた頃、前方にそびえる岩山から霊気が出ていることに気がついた。見渡せば山はいくつもあるので、なおさら違いを感じることが出来た。英語の分かる村人に出会い、あの山は何かあるのかと聞くと、やはり仏陀が修行した山で、山の上の方には洞穴があり、仏陀がまつられているという。すぐに町に戻り、その山まで行ってくれるオートリキシャを探し出し、最悪の悪路の中、約1時間でその山に着いた。現場はラマ仏教徒によって最低限の整備はなされていた。山に登り、ラマ教徒に案内され、洞穴に入ると骨皮筋男の仏陀像がまつられていた。はっきり言ってラマヤンは神聖な山を汚している。
@ 牛のウンコを練って団子にし、それを薄く伸ばしたものが、この町の壁という壁には寸分の隙も無く、貼付けられている。小さな女の子がその体と同じ位の大きさのウンコの山から適量をとり、見事な手つきで処理していく。処理の最後にはサインの如く、手形がくっきりと残る。乾燥させて燃料として使うのだが、誰が始めに気がついたのだろう。
Jan19new!(2/14更新)
@ 今日から1週間、鉄道を使っての旅に出る。セカンドクラスが予約不可だと言うので、仕方なく、ファーストクラスACという一番高い値段の座席にしたのだが、鍵まで掛けられる四畳半ほどの広さのコンパートメントを一人で使うことになった。5クラスあり、一番下はこの面積でもちろん2段ではあるが、10人ぐらい詰め込まれる。これも間違い無く悪しきカーストの残像である。
Jan18
@ あまりの静かさに逆に制作しにくく、400ルピーでジャイコという大騒音の出てしまいそうな妹的ラジオを購入する。MW波という聞いたこともない、バンドもあるが、まともに入るのはAll India FMという局のみ。3分の1ほど、洋楽がかかり、残りはインドソングである。映画の中で聞くのとは違い、視覚を伴わないと結構慣れないとつらい感じである。
@ 「Vasant」というJan28のショーのパンフレットが出来上がる。モネスが私に4時間にわたるインタビューをし、私の紹介文を書いてくれたのだが、納得できず、私がOKを出さなくて遅らせてしまった。結局原文を私が過去の批評から作成し、ブルックが修正を加えてくれて、なんとか形になった。レビューなら決して変更を求めたりしないが、ある意味これはアーチスト・ステートメントなので、彼には悪いが譲れない。
Jan16
@ 昨夜の頭痛は、ピーターの奥さんにもらったフランス語の処方箋しかない薬を適当に飲み、1晩で治り、皆で町に出る。昼飯ではじめて庶民レベルの店に入りマサラ・ドーサを頼む。何を隠そうシィーダがドーサを知っているだけで、皆何も知らない。庶民・イコール・ヒンドゥーであり、欧米連中もここでは赤子である。自分もだが。店先の鉄板と水道がここの厨房であり、しゃれならんと思ってずっと見ていると、ピーターのおかわりした際にナッツのソース入いにもろに水道水が使われた。一瞬凍ってしまたが、皆すでにそのソースを使っていたので、自分の心の奥底にそっと置いておくことにした。帰り際そっと皆の皿を見ると、皆ほとんどそのソースをたいらげてしまっていた。やはり知らせて被害を最小限度に止めるべきだったと思いつつ、皆どれだけ免疫がついているのか見物である。
Jan15
@ バスを乗り継ぎ、町へ出る。キョロキョロしていると小柄なインド人学生が道を教えてくれた。奴と別れようとすると「だぃーん」と攻撃してくる。先日も町中のインド人が「だちゅーの」攻撃を仕掛けてきて、厳重に警告したところであった。どうしてこう間の悪くかつ古い他国のギャグを何のためらいもなく言えるのだろう。せめて「オッハー」にしろと言うと、何故か奴は知っていた。
@ インドのバスは本当に難しい。同じ番号で、方向が違うのである。恐らくヒンドゥー語でどこかに書いてあるのだろう。バスに乗り込み車掌に行き先を告げるが、中々チケットをくれない。そのうち車掌とその周りの人間が話し出し、ヒンドゥー語で何か言っている。とにかく違うことだけ分かり降りる。長距離をいやがるオートリキシャを無理矢理走らせ何とか生還するが、電波少年じゃあるまいし、本当勘弁してほしい。
Jan13
@ 80年代の日本車、特に軽が多いとは思っていたが、新聞によるとインドの車50%以上がスズキが占めていた。確か新車価格が47万円だったアルトであると思うが、こちらではZENと名前がつけられている。SUMOというインド製トラックも、もよく走っている。それらの素晴らしい名前とは裏腹に交通ルールなど皆無に等しい。韓国製ヒュンダイやダエウーの車は何故か新しく、インド製の車はどれもボロいがとてもかわいいので気に入っている。 @ 先日購入したウッド・ブロック・プリントのテストをする。一つだけ仏教系のものがあり、一番気に入っている。
Jan13
@シィーダとサウス・エクステンション・マーケットの画材屋へ行く。これがまたしょぼい。だが今のところ唯一の画材屋であり、そこで揃えるしかない。NYで激安キャンバスはインド製品だったのに、生意気にもNYの倍もする。アクリル絵具もcamelというインド産の12色しか無い。筆も日本の100円ショップでしか買えないようなショボショボセットだけである。しょぼい、あまりにもしょぼい。
@ 鉄道予約センターに行く。タイガー・ジェット・シンを彷彿させる頭にターバンを巻いたシーク教徒にトイレを教えてもらい、そのついでに外人専用の予約カウンターに連れて行ってくれるというので、ついていくとその敷地を出て、確かに予約センターと書いてはあるところに着くが、何か怪しい。周りの人に聞いてもここだと言うので、仕方なく入り予約しようとするが、やはり値段が下調べの倍もしており、出直すことにした。
今日チャーターしたタクシードライバーもシーク野郎で、値段の事で言い合いになった。
たった2人で判断してはならないが、シーク野郎には特別に注意を払わなければならないと心得る。
Jan12
@ とうとう本格的に下痢に成りだした。水道水がばい菌の嵐ではどんなに注意しても、無理である。外食時に注文するジュースは常にノーアイスにし、水荒いされた包丁でカットされた生の野菜や果物も控えてきたが、何度か寝起き時に水道水で歯を磨いていることに気付き慌ててミネラルウォーターで口をゆすいだのだが…。日本から持参した薬は全く効かず、ピーターの薦める超強力な薬を飲む。インドの下痢はインドの薬が一番のようだ。
Jan11
@ 庶民の足であるバスに初挑戦。表示はすべてヒンディ語であり、さらにかなり混んでいて、外が見えないうえに、アナウンスが一切無い。近くの人に行き先を告げ、知らせてもらうしかないのだが、よく考えると、たまたま降りる場所がその知らせてくれた人より先だったので助かったが、…。レジデンスの欧米連中はさらさら乗る気などなく、いつもタクシーのチャーターであるが、自分はアジア人として、彼らより一歩踏み込まなければ、何も見えてこない。 かなりの距離乗って、4ルピー(12円)であった。
@ Qutub Minar Complexへ行く。外人価格が10ドル(450ルピー)で、足りずに入れなっかた。そのお陰で、その周りをぐるりと散歩すると、そのイスラム遺跡の建設のために取り壊されたと思われるヒンドゥ寺院か、ジャイナ寺院の残骸をいくつか発見する。原形はかろうじてとどめているが、凄まじいものがある。
* 散歩していた時に気になっていたのだが、煉瓦ブロック1つ1つ名前が浮き彫りにされている。ブロック会社の名前であるという。駄目元で、マネージャーにオリジナルブロックを100個作成依頼してくれるように頼む。ヨーロッパでは普通らしい。文献をひも解くと古代エジプトからだという。サンスクッティの敷地に点在しているしょうもない野外彫刻の横に積んで去りたい。もちろん使ってもらって結構。
Jan10
@ マネージャー・ムニラとスィーダとアンドリューとで、ここの社長O.P.ジェインの自宅件オフィスへ行く。カーストの頂点の自宅ですと言わんばかりの建物にアンチーク家具から工芸美術作品がところせましに飾られていた。チャンドニーチョークへ行く。次々に物乞いやキャッチセールスマンが話かけて来る。ゆっくり歩くと順番待ちみたいに横で話す機会を待っている奴もいた。100メートルぐらいついてきたりするのはざらである。ひど過ぎて笑けてくる。インド版リカちゃん人形みたいな腰を降りながら、インディ・ポップを歌う人形を買う。店の外に出てテストしていると、あっというまに人垣に囲まれ、動かない原因についてあーだこーだと討論が始まり、見る見る人垣が膨らんでいった。超野次馬暇人と噂では聞いていたが、本当にひど過ぎてこれまた笑える。
@ 昨夜は隣のアトリエのフランス人彫刻家ピーター・ブリッジが一緒に飲もうと誘ってくれ、今日はパキスタンの映画監督ウスマン・ピラザダとインドの超有名女優シャバナ・アズミーが誘ってくれた。イスラム教徒の彼が、ヒンドゥー教徒の人間に牛肉は食せず、牛乳やチーズを食べることは、矛盾するでは無いかと突っ込みを入れると、牛は聖なる母だとかえされたという。なるほど。
Jan8
@ アンドリューとハウズカウスマーケットに行く。彼が私の絵のモチーフに成ると推薦の子供用教育チャートをあるだけ購入する。以前彼には1枚10ルピーだったそうだが、私には1枚2ルピー(3円)で売ってくれた。アジア人プライスだろうか。合計93枚有り、本当に使うかどうか検討せねば。
@ 彼のオーダーした木枠を取りに行く。30号ぐらいのもので、しっかり作ってあってたった250ルピー(750円)である。人件費はどこへいったのだろう。
@ Peter NagyというNYにも画廊をもつやり手の「Nature Morte」へ行く。建物はシルバー一色のドーム型で、一見危ない宗教団体の施設かと思ってしまう。中の作りも変わっているが、肝心の作品がプーであった。
@ パキスタンの詩人作家のアチーヤから本をもらう。ここでの滞在作家は本の作家もいる。
Jan7
@ 朝、昼、晩とビュッフェスタイルで、インディベジタリアン料理が出される。少し心配していたが、全然OKである。いままで20回近く食したが、数回しか同じメンバーで食ったことがない。今日も晩食時に、フランスの彫刻家ピーターが南インドの旅から帰ってきて初めて会う。
Jan6
@ アンドリューと市内へでるつもりだったが、風邪でダウンの為、1人で4時間タクシーを貸りる(300リラ/900円)。「EICHER DELHI」(現地のガイドブック)から現代美術っぽい画廊をピックし、先日入手した2誌ある「ぴあ」もどきの一つ「FIRST CITY」で日時を確認し、3つの画廊を訪ねる。Art Todayのみ現代美術も扱う感じだが、国立近美同様、ボイス/ウォホール以前である。 過去の遺産は別として、映画、音楽が確固たる独自性を確立し、じわじわと世界中へ拡がる中、どうして、美術はこれほどプーなのだろうか。
@ ジャイ・シンの18世紀の天文台ジャンタル・マンタルに行く。機能的野外彫刻と考えるとすごいものがある。日本のガイドブックには無料とあったが、外人プライスとして275ルピーもボラレル。「地球の迷いかた」の異名をとるあの本ではなく、そのバッタモノの「個人旅行2000―2001年度版」であるが、こう何度も間違いを発見すると、訂正として報告してやる気分も失せて、再調査しろと言いたい。ほんま何が2001年版やねん。きっとさ来年版も古い情報のままだらけだろう。
Jan5
@ サンスクリットから、北に数km歩いてみる。わりと店はある。途中、ドラえもんの漫画でしか見たことがない大きな土管が道端にゴロゴロ転がっている。
あちこちでさまざまな工事をしているのであるが、働いている人は下層カーストの人々であろう、えぐいのはカラフルな民族衣装を纏った子供から、若い女性そして老婆まで、男と分け隔てなく土木工事している。藁製の入れ物に瓦礫を山盛り入れ、それを頭にのせて運ぶ姿をフェミニストが見たらどう思うのだろう。差別的に見下されて辛い仕事の繰り返しのなかでも、民族のプライドを忘れないためであろうか。
@ 喉が渇き、売店でスプライトを買う。10ルピー(30円)。この瓶は日本で使ったものをインドで再利用していると何かで知った。アメリカナイズの影にいつも日本が隠れている。
Jan4
@日刊スポーツのサイトにプロレスの結果報告のページを見つける。週プロもゴングのサイトも結果さえなく、むかついていたが、これで落ち着いて制作できる。
JAN3
・ ウインピーというマックのライバルっぽいファーストフードで朝飯。ここのラムバーガーはマクド以下。インド人の味覚は絶対おかしい。スパーバザールに行く。庶民の百貨店と聞いていたが、あまりに薄暗い店内に、必要以上に多い店員があちこちに事務椅子に腰掛けていて、あきらかに店員の数より少ない商品がポツンポツンとおいてあり、その風景にドギモを抜かれる。以前にTVで見たロシアの食料難の映像と似ている。コンピューターショップを発見し、覗くが商品はパラパラ。しかもようわからんメーカーなのにインテル3rdを搭載している。インド恐るべし。シャンカールマーケットを経由し、国立近代美術館へ、アジ美でみたインド作家は面白かったのに、ここは日展の会場かと思うほどチンカス作品で溢れていた。吐き気をもよおしてきたので、出る。バイクを改造したオートリキシャにはメターが無く、ボラレルらしいので、いつも明確な金額交渉が済んでから乗る。20ルピー(60円)でまとまったオートリキシャに乗り、国立博物館へ。さすが地元だけに仏像とインダス文明ものは充実を通り越してクドイ。地図を見ようと1分でも立ち止まると、物乞いが来る。小さな子供であったり、年寄りであったり、足の無い人だったりするので、いつも複雑な気分にさせられる。でもやらん。
JAN2
・シティへの脱出を決める。メイゲンらとマーブル工房、ハウズカースとカーンマーケットに行く。排気ガスと土煙ですべてが白っぽく、クラクションの音が止むことはない。コンノートプレイスで別れる。メトロホテルにチェクインし、マックでマハラジャマックを食べるがまずい。ラムでは無理やでやっぱり。胡椒とかスパイスなどで、必死にごまかしているのが、ラム独特の臭みはとれない。いや無理にとろうとするからラム本来の肉の感じも失っていて、きしょい。セントラルコテージインダストリーズでインド土産の神髄を見る。なかなか面白い。すべてにカーストの匂いがプンプンである。「1日中それだけくりかえしたのね」という感じの工芸品もしくは王様の為のものですのどちらかに大別できる。ジャントパショッピングストリートを歩いている途中で停電が起こる。もちろん奴等は発電機回して商売する。その前後の店もその光のおこぼれで商売する。とにかく停電は日に2回は起こる。ひどい時は3時間ほど復旧しない。ここインドではビデオの録画予約など夢物語である。チャイニーズルームというレストランで晩飯。たしかに酒のんで3品たのんで、400リラ(1200円)だから日本とくらべると安いだろうが、「1日100円で暮らせる」というデマを信じていたので、残念。
JAN1、2001
・ 当然のことなのだろうが、カースト制度が廃止されたとはいえ、ここでも色濃い。まず、昨夜このサンスクリッティのあるエリヤにタクシーで入るとき、雨の中を門番している身なりの良くない人がいた。 そしてこの施設内にも掃除夫が何人もいる。インド映画にも出て来るがお仕えという仕事はやはりアメリカナイズされた私には理解しがたいものだ。
・ メールを見ようと、期待していたGOOに何度アクセスしても何故か日本のエロサイトになる。当然履歴はエロサイトが連発である。他の滞在作家に履歴を見られたら辛いところである。緊急用のhotmailも文字化けの嵐である。その時、後ろで日本語なまりの英語が聞こえて振り向くと日本人のオジサンだった。聞くと東京芸大の益田教授で、遺跡の調査でここに来たという。その連れの学生に日本語使用の為のテクを学ぶ。教授とは話が合ったのでもっと話したかったが、時間が無く残念であった。
DEC31,2000
バンコク迄、5時間,デリー迄4時間というフライト。トランジットなのに、タイにとても居心地の良さを感じた。デリーにつくとスタッフのデシュラジ氏がokamotoのプレートを掲げて出迎えてくれた。大晦日だけに滞在作家は出払っているという。空港からインディポップをガンガンかけた暴走タクシーに送られ、雨の中、美術館とアトリエ付き作家滞在用建物、事務用建物などから構成されたいかにも金持ち的デサインのサンスクリティケンドラにつく。いきなり3種類のカレーを用意していてくれた。NYでインド人街のリヤルインドカレーを何度も食ったことがあるので、懐かしく感じた。とにかく焦らず3ヶ月ゆっくりしよう。

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