「ニューデリー便り」 jan./feb./mar./apr. TEXT by Mitsuhiro Okamoto 作品:W#62「ドザえもん in 善知鳥神社」
| Feb28new!(3/12更新) @ 午前中事務所にて、DM、チラシのデザインの打ち合わせの後、絵画化検討中のサイババ寺院に行く。二代目は日本でも有名であるが、こちらでサイババといえば初代を意味する。初代について色々と調べたが、初代もかなりマジシャン的要素があり、彼を信仰していないインド人も「彼はマジシャンだ」という。しかし実際に寺院で熱心に祈りを捧げる人々を目の当たりにすると、複雑な気分にさせられる。 Feb27new!(3/12更新) @ ネイティブでは無い人の合槌は、つい自分の国の癖がでる。インドでは「ティケッ」と「アチャー」がよく登場する。「ティケッ」は気にならないのだが、「アチャー」は関西では「やってもうた」の意味であり、とても気になる。 Feb26new!(3/12更新) @ 何とか、DM用の作品写真出来る。結局自分で撮影したものになった。事務所から頼んでもらった写真家はボケボケのおばさんで、なんと撮影した2枚ともフレームアウトしてやがる。しばきや。インドだけだと思うが、例えば36枚撮りのフィルムを6枚だけ撮影し、その6枚だけ現像してもらうことができる。そして、残りの30枚(実際は25枚ぐらいになろう)は再度カメラに戻してくれる。現像料金が安い(50円)こともあり、そんなことが一般化したのだろうか。便利やなーと思ったが、変にネガ傷ついてるし。だめじゃん。 Feb25new!(3/12更新) @ 仏陀の足の図像が必要になり、仏教寺院をなんとか探しだす。バスさえもいかないデリーの北の北で、そこはチベット移民の集落だった。中国侵攻の際に逃げてきた人々だという。 インドは歴史的にディープな多民族国家な上、インド系以外の他民族に対して寛容な態度で接し、しまいには吸収する。だから、ニューヨークのようにある国や民族が集落を形成することは無いのかなと思っていたので、驚いてしまった。チベット料理が食べたかったのだが、メニューなど無く、ただ何か食べたいといっただけなのに、唐辛子がいっぱい入った焼きそばが出る。泣きながら食う。 Feb24new!(3/12更新) @ インドに来て初めて雨が降る。今まで2ヶ月いや私が来る前からだから少なくとも2ヶ月以上雨が一滴も降らないのに、植物は青々としているし渇水の問題も起こらない。インドほんまわけ分からん。 Feb22new!(3/12更新) @ チャリを借りて、かなりの広範囲に点在している寺院を周る。途中迷子になり、5年前のイギリスの遺跡を探してあやうく森で一夜の記憶が蘇る。そのお陰で、ガイド本にも無い昨年発見された寺院を見つける。まだ半分土に埋まっているが、カジュラホ特有の彫刻は顔を出している。頂上には御神体のシヴァ・リンガ(男女性器の結合したオブジェ)がチョコンと置かれている。下手な保存処理を施された寺より、どれほど魅力のあることか。文献上ではまだ50以上の寺院がこの地に眠っているらしい。 Feb21new!(3/12更新) @ エロエロ彫刻が壁面を覆うという、野外でキスすれば逮捕される国のものとは思えない寺院群のカジュラホへ行く。数年前までジャングルだったらしいのだが、メチャメチャ観光地。カジュラホに着く30分ほど前からすでにカタコトノの日本語を話すポン引きの兄ちゃんが5人乗ってきて、ホテルの名刺を渡される。名刺には行く予定だったホテルもあり、変更する。エロ彫刻は思ったより小ぶりであったが、すさまじい仕事であり見事である。挿入シーンをリアルに描写しているものもあったり部分部分で楽しめるのだが、むしろ全体のフォルムの方が面白い。寺院の中にもエロ彫刻が手の届く所にあり、どれも乳房だけが、触りたおされ磨きがかかっていた。エロエロインド人は神像であっても関係ないのかいと思いつつ、自分も触っておく。何か縁起がいい気がせんでもない。近くで触って気がついたのだが、乳首のみならず、乳輪まである。夜、祭りのマジックショーを見るがマジサブであり、本当に風邪をひいてしまった。 Feb20 @ ジャンシーからバスでカジュラホに行く予定だったが、すでに最終バスは出た後だった。急遽、オートリキシャをチャーターし、田舎の小さなオーチャ村へ行く。大正解だった。500年前にラージプート王国の首都が置かれた所であり、村にはいくつもの半壊した宮殿や要塞などの当時の建造物があちらこちらに草むらの中に点在する。まさにロストシティ状態であり、ワクワクさせる。丘の上の宮殿の奥の狭い空間だけ青白くヤバイ空気が充満していた。夜は真剣しゃれならん所である。何千人もの人間が命を落としたある意味戦地であり、あたりまえなのだが、これだけ当時のものが残ると何か当時のまま営まれているようである。 Feb19 @ 田舎道を1時間半バスに揺られ、紀元前の仏教遺跡サンチーに着く。病的なほど、びっしりと彫刻されたストゥーパの4つのゲートは写真で伝わるものではなかった。ナイスバディの女神や牙をむいた悪魔など、日本仏教のイメージからは想像出来ない世界観である。 Feb18 @ この旅の鉄道はすべて、3ACという3段ベッドの客室しか取れなかった。あまりに高さが無く、座ることさえ出来ない。眠くもないのに横になって6時間、ボパールに着く。予想通り、観光客の来ない地域などにはトイレットペーパーは売っていない。アランガバードで買わなかったら、インド式にカップの水を使って、手でお尻を拭かざるを得ないところであった。危ない危ない。「紙が無いので手で拭いた」という歌を子供のころよく口ずさんだものだが、インド人は本当に手で拭く。紙が無いというアクシデント以前である。おそらくこのことが、最も文化風習の違いを感じるものではないだろうか。 Feb17 @ 「数千年誰の目に触れる事も無く眠っていた」「渓谷の断崖に放たれた大石窟群」「インド仏教美術史を塗り変えるほどのインパクト」…。旅行会社とガイド本のキャッチコピーを胸に抱き、ビンビンに期待してアジャンタに行く。結果、膨らみすぎたイメージを受け止めてくれるものはどこにも無かった。あったのは、観光客の安全を考えて、過度に整備されたコンクリートの広い道とザックリと人口的直線で切り取られた石窟の入り口であった。遺跡にもよるが、ここはこの渓谷の断崖という場の雰囲気こそ保存して欲しかった。 Feb16 @ エローラのカイラーサナータ寺院は一見ただでかいだけと思うが、実は7000人の彫刻家が100年かけて1つの岩山の頂上部から下に掘り下げていき、作り出したという。ここまで極めるとやはり凄い。チケット売り場まで、岩山を削って作られていた。素晴らしい。こんなナイスなチケット売り場は宝島VOWに投稿したいぐらいだ。 @ 生まれて初めてツアーというものに参加したのだが、エローラだけでいいのに、見る価値の見出せない所へ幾度と無く強制的にバスから降ろされ、行く先々でドネーション地獄にあう。頼みもしていないのに、ジジーが暗闇の洞窟で松明を点したり、ろくに靴の管理するわけでもなく、ただ靴脱ぎ場に座り込んでいるババーなどが、「ドネーション、ドネーション」と金を出すまでわめく。奴等はドネーションの本来の意味など知らないのだろう。そう言いさえすれば旅行者は簡単に金をくれると思っている。ほんとうにシバキたい衝動に駆られる。いや社会正義的にシバイても良いのかもしれない。 Feb15 @ 4ヶ所の世界遺産を周る旅に出る。空路ムンバイを経由し、アウランガバードに着く。 参考にしたアメリカのガイドブックが10年以上前のレートらしく、予想外にホテルが高く感じる。といっても600円から900円であるが、…。4軒めにして、ようやく落ち着く。レストランで、ビールとやきそばを注文するが、焼きそばという言葉のカテゴリーに入らないものだった。ネトッとした無味で透明のジェル状のものにろくに湯がいていない生麺がからんでいるだけである。ここはデリーとは言葉も文化も違うらしいが、いくら文化が違えども、焼きそばはやっぱ焼いてほしいものだ。 Feb6 @ インドにはジェッソ(絵画の下地剤)が無い。この1ヶ月間四方手を尽くしたが…。アンプライムド・キャンバスの大量購入が裏目に出てしまった。そして、ようやく見つけたビニールに描くことも不可能である。海外で制作する都度思うが、「自分の表現には何が絶対必要なのか」という事が認識できる。 Feb5 @ PVR−anupum4という4本の新作映画を館内の小規模な4会場で同時上映するという映像と音響の質を重視した新しいタイプの映画館に行く。日本にあるものとそっくりであるが、もちろんアメリカ産のスタイルである。ここではボリウッドもたまには上映するとの事だが、基本として4本ともハリウッドものである。そして英語のみであり、客層も若い。今はまだボリウッドは元気であるが、日本同様ハリウッドに駆逐されるのは時間の問題であろう。「the 6th day」を見る。なかなか面白い。 Feb3 @ スタッフのサンジェイ氏推薦のボリウッド映画「AASHIQ」を見る。ストーリーが単純なので、ヒンズー語が分からずとも大丈夫だったが、作品の質の低さに驚いてしまった。カメラは手ぶれしとるし、効果音は入れときゃいいんだろ的な爆音でタイミングを外して入る、カリスマ・カプアーとボビー・デオルという現在のインドのトップスターの共演でこれなのだから、やはり近年の量産体制が悪影響を与えているのだろう。TVの普及による集客力の低下やマフィアと裏で繋がるボリウッドのボス的なプロデューサーが逮捕されたりと、暗雲が立ち込めている印象を受けた。 @ スリランカの映画監督アロマとギリシャの版画家ソフィーが来る。アロマは次の作品の脚本を書くのだという。ソフィーは表現方法を確立した作家で、インドで制作する理由はどこにもない。ここに来る作家はそのタイプが多い。もちろん批判も否定もしない。どちらかといえば世代的なものもあるのだろう。 Feb2 @ 3会場30ヶ国参加のインド・トリエンナーレに行く。画学生レベルのアラブ諸国や大勢のカス・インド作家にげんなりするものの、全体的に楽しめた。メキシコのロレーナ・ヘレーラは自国からは何も持参せず、10ヶ月に及ぶインドでの暮らしの中から、ユニークな作品を作り出しており、共鳴出来た。中でも作家自らが盗んだのであろうルフトハンザ航空の毛布にインドの伝統的編物(おそらく発注)が施されている作品は名作であろう。彼女自身の文化的背景を基軸とした、インドという混沌とした社会への切り口は決して鮮やかなもでは無いが、作家の葛藤が伝わる生々しい作品群には見ごたえがあった。スウェーデンのグニラ・クリングバーグとピーター・ゲシュウィンドのメインの巨大袋作品の横に14インチのTVから流れるインドの花火大会の映像のスローモーションも見事であった。音のセンスもいいが、何よりも、その単純な処理で、様々な意味を汲み取る事が可能な作品である。イギリスのキャサリーン・ヤスはボリウッドの女優や監督の肖像写真作品で、彼女のライト・ボックスが初めて効果的に見えた。日本からは田中信太郎などの50歳以上のおじさん4人が日本から金かけて送った作品を出品。現代のインドと裸で対峙している作品を見た後ではやはりキツイ。 @ 日本語にするとTVショッピングっぽい日本文化情報センターで、山田洋次監督作品「息子」を見る。日常的な単純なストーリーであり、ハリウッドやボリウッドのように派手なアクションやおちが無く、インドの人々にこの映画の豊潤な人間ドラマがどこまで伝わっているのか甚だ疑問ではある。役者の実力もあるが、登場人物各々の個性の描き方が卓越している事と無駄が無いというよりも、ギリギリまで切りつめてあるが故に、ある特定の場面が強く印象に残る。名作極まりない。先日バラナシで見た「SPECIES 2」というハリウッド映画が強烈に最悪だったので、なおさら良い映画とはこういう物なのだという事が明確に感じられた。 Feb1 @ ラールキラーに行く、先月テロで門番が2人殺されただけに、さすが厳重な警備 である。史跡でもあるが、現在も軍の施設が敷地内の大半を占め、歴史が点ではな く、線であることを感じさせられる。 @ 帰路につく為には、乗り換え地点で、4方向の同じ番号のバスから、ヒンズー語 の表示を見分けなければならないのだが、ようやくミスしなくなった。当初ミミズが くねくねした模様にしか見えなかったが、ハングル文字のようにわりと単純な要素で あることを知った。 | |
N-mark.com Copyright 2000.N-mark.com,All rights reserved. |