「ニューデリー便り」 jan./feb./mar./apr. TEXT by Mitsuhiro Okamoto 作品:W#62「ドザえもん in 善知鳥神社」
| March31new!(4/9更新) @ ジャイプールに戻る。ここも砂埃が凄く、景色に色が無い、その反動で女性たちは派手なサリーを纏うと聞いていたが、実際デリーと変わらない。ただ街全体がピンクシティの名の通り、建物はピンク色(実際はレンガ色に近い)に塗られており、印象には残る。 @ 「地球の迷い方」に住所が載っているという(その時点で終わっているが)オートリキシャのオヤジに美術をやっていると言うと、友人が経営しているという画廊に連れていかれる。現代作家ではあるが、伝統的細密描写の手法を用いた宗教画や神話の一場面や庶民のポートレートなど、形式ばったものばかり見せられ、「興味無い」「面白く無い」「意味が無い」「個性が無い」などとバンバン本音を言うものの、大学時代に日展の先生と討論していた頃に感じた空しさを思い出す。 March30new!(4/9更新) @ ホテルの壁に直接描かれている地図をノートに写し、シルクロードの交易で富んだ商人の屋敷に残る装飾(ハビリ)を見に行く。かろうじて原形をと留めているバスとオフロードコースのような悪路に揺られ、ファテプーリから60分、最も多くのハビリのあるマンダーワという町に行く。いつのまにか、あるハビリの方向を聞いただけのオヤジがガイドとなり、現在は庶民が住みついているハビリにドカドカ入って行く。50以上あるとのことだが、2つ見た時点で、あまりの拙さに「だめだこりゃ」という気持ちで一杯になるが、こんなド僻地に来た以上、そのオヤジに身をゆだねる。インドへ来たばかりの頃、インドの画家から、「ペインターならば見なければならない」と言われ、ペインターでは無いのになーと思いつつ、ずっと気になっていて、ついに決心したが、無駄足だった。その画家が日本に来た時には、とんでもない僻地のヘロヘロ・ペインティングを御薦めしよう。 @ 田舎にくると原形を留めていない2ルピーや5ルピーの金額さえ見えないほどのボロボロの紙幣が廻ってくる。トランプの婆抜きのようなもので、受け取ったら最後、誰にも渡せない。おそらく紙幣ボロボロ度もミスユニバースのように世界一だろう。 March29new!(4/9更新) @ 昨夜デリー市内のバス、タクシー、オートリキシャがストライキで利用出来ないことを知り、仕方なく駅前のホテルで泊まったのだが、サービス・チャージだのなんたらチャージだの、ボッタクリ・バーのようなチャージの嵐に吹き飛ばされる。一見さんだけでやっていくという姿勢もなんだか古い。 怪しいところはとことん怪しいところもまたインドらしさである。 @ ジャイプールからシカバーティーのファテプーリへバスで向かう。「ファテプーリだ」と、日も暮れた8時頃、街灯もろくに無い、人もほとんどいない半砂漠の地にポツンと降ろされる。なんとか村唯一のホテルを見つけ、部屋を借りるが、トイレタンクが外れる。部屋を借りる際、必ずトイレの水が出るかどうかの確認はするが、まさかタンクが外れるなんて考えもしなかった。夜番のヨボヨボじいさんに他の部屋すべて見させてもらうが、電気がつかなかったり、水が出なかったり、どの部屋も何かが故障している。凄いホテルである。 March28new!(4/9更新) @ 31日のワンディ・ショーへのオメトラとしての展示概略を決める。前日のメラリの町でのパフォーマンスの写真とコスチュームを木に展示し、そのビデオ映像を映画上映前のスネーク・プレヴューとして、数分間流すというものである。クソ真面目な作家ばかりなので、オメトラのお陰でショー全体のバランスは良くなると思うが、全く理解されないだろう。きっと。 March27new!(4/9更新) @ サイーダ(トルコの写真家)にはカメラを、アマラジーヴァ(スリランカの画家)にはデジカメの撮影を依頼し、オメガトラブルとしてメラリの町を観光する。顔面白塗り、全身白タイツにチープなヒンドゥー装飾を全身に施したスタイルはインド人もビックリのようで、皆遠巻きに見る。なんとおとなしい牛が攻撃してきた。 March26new!(4/9更新) @ 画廊の天井から自然光が、そして画廊内には蛍光燈という撮影には最悪の状況につき、自らの撮影を断念し、プロの写真家に依頼する。なんと1カット250ルピー(750円)というリーズナブルな御値段。2時間かけて11カットと撮影してもらう。 March25new!(4/9更新) @ 個展最終日である。クリシュナ神と飼い牛との定番の宗教画から構図を引用し、クリシュナはドナルドに牛にはアメリカのビーフ部位図を描くというかなり挑発的な作品が皮肉にも一番評判がよかった。 March24new!(4/9更新) @ シバァ神のソフビ人形をチャンドニィーチョークのヒンドゥー神具店で購入する。例えば日本で仏陀のソフビ人形はありえないだろう。コレクターでは無いが、ソフビ人形で育った世代だけに特別の思い入れがある。そしてまたこれはバスの中の神棚に飾られている最も一般的な物である。バスからオートリキシャまで、日本ならばドリンクホルダーでも置くような正面窓ガラス手前の空間に必ずヒンズーの神が祭れている。その飾り方も千差万別で、とても興味深い。時間があれば写真作品としてまとめたいところである。 March23new!(4/9更新) @ ハビッタットセンターの「キッチュ・ショー」に行く。インドの現代美術が捨てたものでない事を知る。 おそらく海外留学などで、鍛えられた連中が何人かいるのだろう。面白い作品が複数ある。ほとんどが、インドを客観的に外側から捕らえ、かなり戦略的にインド的なるイメージや素材を駆使している。日本でもどこでもそうだが、画廊周りしたところで、面白い作品に出会うなんて、極希である。インドを去る前に面白い作品群にであえてラッキーであった。 @ クラフトミュージアムのイタリア人作家の個展のオープニングに行く。インド各地の工芸職人とのコラボレーションがメインであるが、全くコラボという感じではない。一方的にヘボいデザインをNOと言えない職人に押し付け、そしてまた職人も権力者からの圧力と金銭的な魅力に挟まれ、結果出来た作品は魂の抜けたゴミであった。作家は光沢のあるシャツとパンツに身を纏い、いかにもオペラでも歌いだしそうな、どちらかといえば岡本太郎系の爆発的勢いでやってしまうという感じであり、好きでは無い。 March21new!(4/9更新) @ ユニットグループ「オメガトラブル」の相方、高木哲氏を迎えに空港に行く。 さすが多数の日本人行方不明者を出すだけあって、なんちゃってタクシーが多い。余りに客引きが多いからだろう、出迎えのエリアに入るのに50ルピー必要である。それでも客引きグループは一人エリア内へ送り込んで来る。空港内で軽食を食べていると、英語がほとんど駄目な客引き兄ちゃんが突然「お前はボラレテイル」と彼に話し掛けてきた。少し頭が壊れているようで、彼とのやりとりはかなりおかしかった。後で聞くと彼は日本語も少し話したらしいのだが、自信が無いのだろう、かなり小声だったらしい。笑わしてくれる。 March20 @ 連日、子供によってインスタレーション作品を破壊され、毎朝その修復をする。画廊奥の1スペース全体を使って、床にヒンズーの色粉を敷き詰め、石庭の如く定規やフォークで模様を描き、竜安寺の石庭の石の配置に従って、インドネーム「ZEN」という名のスズキアルトのミニチュアカーを15台配置するというものである。私自身アート作品と信じきってしまっていたが、当然ながら、子供からしてみれば、オモチャ以外の何物でもなかった。実際石庭は毎朝坊さんが整備するので、このミニカーの庭を毎朝整備するのはコンセプト的には面白いが、最低限の作品鑑賞さえ守れないインド人の親には絶望である。オープニング終了時の破壊の際には色粉を浴びてしまったバカ親がこともあろうに謝るどころか、批判するので、言い合いになってしまった。 March19 @ ロディーガーデンにて、女装したオカマ4人組みを発見する。おそらく奇麗な男もいるのだろうが、インド人は肌がかなり黒い上に濃いい顔なので、正直キツイ。それでもおばさんのサリーからはみ出たボンレスハムよりは見れる。 March18 @ マネージャーのムニラがスタジオに来て、いままでのここの画廊での個展の中で、一番評判が良かったと報告してくれた。来客一人一人を出口で捕まえ、感想を聞いていたのだという。なんとか責任を果たせて一段落である。 March17 @ いよいよ個展である。日本大使館から伊藤氏と日本情報文化センターから持田氏がオープニングセレモニーに駆けつけてくれた。かなりデリー中心部から離れているのともちろん無名なのにたくさんの人々が来てくれた。エンドレス状態で、作家や様々な国の大使館員を紹介される。なんとか来客も落ちいてきたころを見計らって、レジデンスの作家連中と2次会へと町へ繰り出すものの、なんとそこは死語だと思っていた「ディスコ」であった。インドお決まりの金髪西洋人女性ライブとDJによるプレイが交互に行われる。腹が減っているので、とっとと出て近くの日本レストランに行くが、日本料理はたった5品で、他はすべて中国料理であった。その5品でさえ「おかゆ」レベルである。 March16 @ インドで一番大衆人気商品のタジマハールティーバッグをただ拡大した絵画に腰を降ってヒンディーポップを歌う人形を2体装備した作品を速攻仕上げる。 March15 @ 今までノンビリ過ごしていた反動で、ここ2、3日は制作三昧である。後2日にしてデカイ絵画1枚はまだ白いままである。ここまで切羽詰まったのも久しぶりである。 March12 @ 画廊の窓に設置するインスタレーション作品「stripe−sprite」の為にスプライトの瓶を切る必要が生じ、デリー中のグラス屋にカットを依頼するが、どこも設備が無く不可との返事。スッタフのシャルビスタがグラス作家に相談してくれ、油と石鹸水を使って爆発させて切る方法を教わるものの、時間的な問題で難しく、ダメ元で「画廊の壁をえぐる」と宣言し、さらに「アメリカナイズの牢獄」と、さもコンセプチュアルワークのように作品の価値をマネージャーに説明すると大工屋に頼んで新たな窓を作成してくれることになった。スプライトでストライプを構成するというだけのくだらない駄洒落作品ではあるが、8年前に一度日本で制作を決断するものの、スプライトの瓶を見つけることが出来ずに断念した経緯があり、とても思い入れのある作品である。 March10 @ 早朝からいつも静寂なアートセンターはホーリー地獄であった。いつもは黙って黙々と仕事をする二十数人のスタッフが朝から酒が入っているらしく、日頃のうっぷんもあるのだろう。狂っている。 March9 @ とうとうホーリーの洗礼を受ける。この日だけは街を避けようと思っていたが、このアートセンターも例外では無かった。当初逃げまくっていたが、一度色粉を浴びてしまえば、攻撃の鬼と化してしまった。街へ逃げた作家を除いてほぼ全員が全身色だらけになったあげく、色粉が無くなると池への落としあいになり、しまいには池の中でレスリングになった。高校時代の柔道とプロレス技の知識がインドで役立つとは夢にも思わなかった。 March8 @ 小枝だけを20本ほど道端で売っているおばさんを発見する。すべて割り箸ほどの長さに揃えられている。アートかなと思うほど、シュールな風景である。奇遇にも道端でそれを持っているムニラ(マネージャー)に会う。neemという木の枝で歯ブラシなのだという。その効果は彼の歯が証明している。試しに1本もらい試すが、メッチャ固いし、青臭いし、しかも苦い。これだけアメリカナイズされても、お構いなしに原始自然道具を使うインド人に学ぶものは多い。 @ 看板関連の店の一群を見つける。木工屋、電飾屋、彫刻屋…。なかでも文字屋(アクリル加工、アルミ加工)は「コエカタマリン」みたいな立体文字を激安で作成してくれる。もう少し早く発見できれば、オーダーできたのだが、残念である。 March6 @ オフィスへ版下のチェックに行くつもりが、時間的な問題で既に200部以上刷られていた。印刷の質、デザインは問題無いのだが、ペラペラの紙であり、一度は仕方なく了承したものの、やはり納得できずそのDMの使用を断り、案内状はここの定番の文字だけにしてもらう。10年以上同じ形式のDMであり、インドだからと特例にはしたくない。ここインドではDM印刷1000部は800ルピー(2万4千円)ほどかかり、時間もかかる。自費で構わないのである程度の厚紙で印刷してもらうように頼む。この為に複数のスタッフが相当の時間を費やしたのは分かるが、譲れないものは譲れない。 夕食時、OPジェインから私のDM使用拒否についてプロとして当然で有る事、ほとんどの日本人はノーと言はないのに君は例外であると言われる。怒ってるやろなーと思っていたので、ホットした反面日本人批判を聞かされ複雑な気分になる。 @ 夕方からノミタお勧めのチャタルプール寺院に行く。広大な一帯がすべて寺院群であり、建物すべて異常にでかい。観光地では無い夜生の寺院は最高である。のりの良いマントラライブもなかなかであった。ピンクとイエローを基調にした内部空間の装飾はヒンドゥーならでわのものであろう。またここの御神体であるドゥルガーの変化身的存在であるカーリーは、生首を輪にしたものを首に掛け、複数の手には血のりのついた武器を持つというヒンドゥーの中で一番強烈な神であり、立体像も一段と強烈である。 March6 @ オフィスへ版下のチェックに行くつもりが、時間的な問題で既に200部以上刷られていた。印刷の質、デザインは問題無いのだが、ペラペラの紙であり、一度は仕方なく了承したものの、やはり納得できずそのDMの使用を断り、案内状はここの定番の文字だけにしてもらう。10年以上同じ形式のDMであり、インドだからと特例にはしたくない。ここインドではDM印刷1000部は800ルピー(2万4千円)ほどかかり、時間もかかる。自費で構わないのである程度の厚紙で印刷してもらうように頼む。この為に複数のスタッフが相当の時間を費やしたのは分かるが、譲れないものは譲れない。 夕食時、OPジェインから私のDM使用拒否についてプロとして当然で有る事、ほとんどの日本人はノーと言はないのに君は例外であると言われる。怒ってるやろなーと思っていたので、ホットした反面日本人批判を聞かされ複雑な気分になる。 March5 @ 昨夜来たオーストラリアの小説家ティムとスーザンとチャンドニーチョークへ行く。絵具の顔料屋が軒を連ねる場所に行くまでもなく、色水を浴びせあうヒンズーの祭りホーリー用の色粉と水鉄砲があちらこちらで売られている。大の大人が平然と袋一杯の色粉を購入していく。やっぱ何かが壊れている国である。 March4 @ ドイツの現代美術系宝石デザイナーのスーザン、マムーン&ジョリーと 国立近代美術ギャラリーでドイツ現代美術作家展を見る。低予算なのだろう、ボイス、リヒター、キーファーなどビッグネームは小さい作品ではあるが、小さくてもやはり輝いてる。99年ベルリンで見た「20世紀ドイツの美術を振り返る」みたいなやたら大規模な展覧会に比べてはるかにいい展覧会である。 @ 夕方からここのアートセンターでインドの伝統音楽のライブがあった。野外なのだが、客席にはベッドが敷き詰められ、その上にクッションと抱き枕が有り、観客はゴロリとリラックスした状態で、聞く事が出来る。「こら寝てまうで」と思ったが、喉の調子絶不調のおばあちゃんボーカルにシタールとアコーディオンみたいなメリハリの無い音楽のお陰で本当に寝てしまった。終了後、オーナーのOPジェインから、「この音楽は好きか?」と聞かれ、「イエス」と答え、私の曝睡を目撃したアノマから後で攻められる。 March2 @ バングラディッシュの画家マムーン&ジョリーとお互いのアトリエを訪ねる。彼の作品をアジ美が購入したという。イスラム的な文化背景が濃く、異文化の人間には難しいところがある。もちろん自分の作品も日本的文化背景の基礎知識無しでは、何も伝わらないものもある。もちろんお互い己の文化背景から脱することは出来ないが、そこを出発地点にして、共通言語を獲得することは出来る。 | |
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